めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

「あなたのブログは大しておもしろくない」と言われた

先日、仕事の休憩中にスマホではてなブログを見てみると、わたしのブログが言及されていた。

ブログや記事が言及されるとうれしいもので、必ず読みに行くようにしている。

これまでも何度か言及いただいたが、大抵「参考になった」とか「おもしろかった」というありがたい内容で、純粋にうれしかった。

ところが、先日いただいた言及は様子が違ったのである。

 

言及していただいた記事はこちら↓

gyakutenn.hatenablog.com

 

この記事は、わたしが昨日投稿したブログを始めたきっかけと、続ける理由 - めんおうブログを、上のブログ主のむーさんが読んだところ、「大しておもしろくなかった、めんおうさんの記事を読むくらいならWaidan (id:wp-dandy)さん(ワイ談さん)のブログを読んだ方がいい」という趣旨だった。

言及内容は、わたしの記事に対して否定的なだったけれど、それでも不思議とイラっとも、残念な気持ちにもならなかった。やっぱりうれしかったのだ。

 

たまに、ブクマコメントで、「これ、互助会だ!」みたいなものをいただくけれど、むしろそちらの方が、残念な気持ちになる。

反射的で、食らわせてやろうというにしか思っておらず、きっと対象は誰でも、どんな記事でもいいんだろうなと思えるからだ。

 

一方、むーさんは違った。

わたしの記事がどうも好みに合わないことをしっかりと受け止め、考えてくれたように感じたのだ。

わたしがブログに求めている「つながり」には、いろいろな形があるけれど、わたしにとっては、記事をむーさんが読んでくれ、記事を書いてくれたことも、それを受けてわたしがこれを書いていることも「つながり」なのである。

正に今、こうしてやり取りしているのがわたしは楽しいし、これがブログの醍醐味でもあると思うのだ。

 

むーさんが、ワイ談さんのブログの方がおもしろいと言うから読みに行ったら、日記的で、確かにおもしろかった。

地に足の着いた内容で、日ごろのできごとを大切にして考えているところや、ワイ談さんのやさしさが伝わって来た。

思いつくがまま、さらさらと書いているようであるのに、しっかりと伝えたいことを伝えてくるという感じだった。

 

あなたの記事は大しておもしろくない、と言われて考えたのは、「では、おもしろいブログとは何だろう?」ということだった。

ワイ談さんのブログを参考にしながら、わたしがおもしろいと思っているブログの共通点を考えた。

この際、内容が専門的であったり、読んで役立つ記事は横に置いておきたい。そうでないのにおもしろく、読みたくなる記事とは何だろう?

 

それは、思考の跡が見える記事だった。

 

そもそもブログというのは、書き手の読み手に対する語りかけだと思う。つまり、会話(お話)なんですよね。

人に何かを話すときは、必ず考えながら話すし、話されている言葉だけを見たとしてもその背景が見えるものなのだ。

ワイ談さんの記事では、「そういえば、・・・」と言って、話が飛ぶことがあったけれど、なぜそれを思いついたのか、思い出したのかがよくわかるのである。

要は、その思考の跡が見えるということだ。

 

思考の跡が見えると、「へぇ、こんなところに引っ掛かったんだ」とか「こういう考え方もあるのか」と感じる。

しかも、書き手は有名人や芸能人とは違う、ごく一般の人。

どんな考え方であれ、しみじみと、妙に納得してしまうのである。(賛同ではなくとも)

 

おもしろい、おもしろくないということはよく言われるけれど、「おもしろい」をよく見つめ、分解してみると、こんなところに行きついた。

もちろん、何を「おもしろい」と感じるかは人それぞれ。

だからこそ、わたしのようなブログでも、読みに来てくださる方もいるし、おもしろくないと感じる方もいる。

ただ、わたしの「おもしろい」は、書き手の思考の跡にあったのである。

 

「あなたのブログは大しておもしろくない」という否定的な言及だったけれど、それをきっかけにして、自分が何をおもしろいと感じるかが見えてきた。

読んでもらって、おもしろがってもらおうということではないけれど、思考の跡が見える記事を書いていきたいなと思った。

 

あなたの「おもしろい」は、どこにありますか?

ブログを始めたきっかけと、続ける理由

はてなやTwitter界隈を徘徊していると、毎日のように新しくブログを始める人や、ブログ開始後1か月報告など、初々しい記事を見る。

ブログ始めました系の記事の読み手は、そのほとんどがブロガーだということで、意味のない記事、価値の低い記事と言われることがあるけれど、そんなことはないと思う。

そもそも記事の種類でその価値に優劣などないし、わたしのように楽しく読む人は多いだろう。また、わたしがそうだったようにブログの初心者はそういった記事を読みながらブログに慣れていくものだからだ。

さて、わたしはもうすぐブログを始めて1年になる。そんなわたしがこの記事を書くきっかけになったのも、ブログを始めたばかりの方の記事を読んだことだった。

自分がブログ始めたときはどんな感じだっけ・・・あぁ、こうだったよなぁなんて、懐かしく感じたし、じゃあ、なんで今ブログを続けてるんだっけ?だいぶ状況は変わってるけどなぁと思いが巡ったからだ。

 

思い出を振り返ること、そして、今や将来のブログとの付き合い方に思いを巡らせる作業はなかなかおもしろいものだった。

この記事では、それについてまとめたいと思う。この1年、ホントにいろんなことがあったなぁ。

ブログを始めたきっかけ

わたしがブログを始めたのは、2017年11月下旬。

ブログを始めたころは、転職関連のことででワクワク、ソワソワしていたのを思い出す。

もしかしたら、実生活のソワソワを打ち消したくて、楽しい思い出や自分の考えていることを打ち込んでいくという作業をやっていたのかもしれない。

ブログを始めた去年末は、確か副業という言葉がはやり始めたころ。きっかけは、転職によって給料が激減したことだった。公務員からの転職で収入が4割ほど減ったので、少しでも穴埋めしたかったのだ。実際稼げるかどうかわからないけれど、とりあえずやってみようということで。

また、それと同時に転職という大きなできごとをしっかりと記録したかった。さらに、それを人の役に立てられれば、という思いもあった。

きっかけと、目的などがごちゃごちゃしているけれど、転職前後で変化の大きな生活環境や心情を記録して、人の役に立てながら副収入が得られれば最高だよなと思いながらブログを始めたのである。

 

わたしは、運よく、1カ月経たないうちにアドセンスに通り、すぐに月数百円、数千円を得られるようになった。

ただ、収入より先に、自分が書いた文章を人から読まれるということに、胸の奥が震えるような感動があったし、そこから少しでも収入が得られることに新鮮さを感じたのを、今でも覚えている。

 

ブログでの収入を得ることができ、努力の方向次第でもっと大きく狙うこともできるのかもしれないけれど、それは自分には合わないなとすぐに感じた。

収益を得るための記事を書いたり、検索上位を狙うための研究に多くの時間を割くよりも、考えたり書くことに時間を使いたいし、書きたいときに好きなように書きたかったからだ。

ブログとの付き合い方が大きく変わっていった

ブログを始めたきっかけは副収入だったし、記事の内容は記録のためのものが多かったけれど、それ以降、ブログとの付き合い方は大きく変わっていった。

 

書くのが楽しくて、毎日書いているうちに「書かなきゃ」と思うようになり、自らを追い詰め、書くのが苦痛になったり。

書くよりも、読むのが楽しくなったり。

投稿頻度を落としてみたら、それがちょうどいいことがわかったり。

スマートニュースに記事が掲載されて、自分の書いたものが読まれることのありがたさや、楽しさをもう一度感じたり。

 

ブログへのモチベーションは、このように、結構「波」や「変化」がある。

モチベは変わるものだけど、これからもブログは続けていくんだと思う。これからもモチベは変わっていくのかな。

 

ブログを続ける理由

ブログへのモチベが変わってきた今、ブログを始めたきっかけである副収入は、頭の片隅にしかない。

書きたい、読みたい、掲載されたい、副収入を得たいなど、ブログをする中では、いろいろな気持ちがあるけれど、今ブログを続けている理由を一言で言うと、「つながり」だ。

 

書きたいことを書く、言いたいことを言う、反応をもらう、コメントをいただく、人の記事を読む、コメントする。

これが楽しくて仕方がないのである。

書くことばかりでも、読むことばかりでもないし、まして、読まれるために頑張るというものでもない。

実生活で人と会話するような感覚で、ブログを通してただ、人と会話したい。そんな感覚なのである。

 

最近思うのは、いつの間にかブログが当たり前の存在というか、「書かなきゃ」というような特別なものではなくなったということ。

そうではなくて、ふと思いつき、自然と考えが膨らんできたものを書ける。しかも飾ることなく、さらっと。

読んでしっくりくる人が書いたものを読める。

時間がなかったり、疲れたりしてたら書かなくてもいいや。

こんな感じだ。

 

ブログを始めて約1年。

すでに言ってきたように、モチベは変わり続けるも、その時々で楽しく続けてきたブログだけれど、その中でも今が一番楽しく、充実感を感じながら付き合うことができている。

書くこと、読むことを通して人とつながれる場所、それがわたしにとってのブログで、水や空気のように、横にあって当たり前の存在。その心地よさを感じられる。

これが、わたしがブログを続ける理由である。

 

ブログの目的やモチベは、人それぞれだけれど、わたしにはこれが一番合っているし、ストレスなく楽しく続けられるということに、ようやく気付くことができた。

副収入をきっかけに始めたブログが、1年後の今、こんな形で生活の一部になるとは想像もしなかった。

「みんなブログやるべき」という、うさん臭いポジショントークをよく見るけれど、これには賛同したい。理由は簡単、ブログは最高に楽しい場所だから。

この記事が少しでも多くの人の目に留まり、ブログを始める背中を押せたらいいなと思うし、ブログを辞めようとしている人を引き留められればいいなと思う。

2,000字以下になんて、なかなかならないよ

Twitterを見ていると、よく「SEO的には2,000字くらいの記事がよろしい」ということが言われる。

SEOというものは、記事の検索順位を上げること、みたいなものだということは知っているけれど、どうすればそうなるのかはほとんど知らない。

何やらキーワード的なものを散りばめたり、適度な長さにしたりするといいらしいことくらいは知っているけれど、本当にそれが正しいのかどうかはわからないし、めんどうなので実験するつもりもない。

でも、2,000字くらいにしないと読み手には結構な時間的、労力的な負担を強いるわけで、「SEO的なもの」を意識していないわたしも、文字数に関しては、ちょっとは気にしている。

実際、2,000字を超えてくると、読み手としては、途中で疲れてきたなというのがありますからね。

 

だから、記事を書くときに、なるべく2,000字以下で収めようとはしているのである。

どうやっているかというと、こんな感じだ。

  1. 何を書くかを明確にする
  2. 項目ごとドバーっと書く
  3. 読み直して必要のないところを、記事全体が2,000字以下になるように削っていく。調子がよければ、項目ごとごっそり落とす

実生活で、いらないものを捨てていく断捨離が気持ちいように、この「3」の作業はすっきりと気持ちいいので、記事を書く作業の中でも好きなことの一つだ。

 

でも、2,000字以下にするのは結構難しい。

特に、自身の過去の経験に照らしながら、今や将来のことを書くときや、働き方や生き方について考えていることなどを書くときは、その説明が膨らみやすい。

2,000字の記事を書けなくて(短くしか書けなくて)悩む人も多いようだけれど、長くなりすぎるきらいがあって悩む人もいるということだ。

 

長くなる時は、「段落わけや項目を分けましょう」みたいに言われるし、確かにそうだと思うところもあるので、項目分けするときもある。

でも、実は、項目分けはあまり好きではない。

なんとなく、さらっと書けないし、読めないような気がするし、無理やりな感じがするからだ。

やっぱり接続詞で続けて書いた方が一つの文章、記事として読みやすい気がする。

だから、個人的には、この記事のような書き方が書きやすく、読みやすいので好きなのである。

 

さて、別の記事を書いていてどうも3,000字以上が確定しそうになり、いやぁ、2,000字以下にするのは難しいわっと思いつつ、これからも長くなるかもだけどよろしくお願いしますという言い訳の伏線を張るためのこの記事は、2,000字以下で終わりそうでほっとしている。

今、現時点で1,050字。

思いついて、その勢いで書き始めた記事ですらこんな調子なので、しっかり伝えたいことを伝えるための記事で2,000字以下にするのは、やっぱり難しいのである。

店舗展開ばかりを進めた先にあるのは闇だと思う

転職して入社した会社は、ラーメン企業。

直営店舗数は50店にもなるが、創業10年程度のまだまだ若い会社だ。

「若いがゆえに」なのかもしれないが、業績はよく、店舗展開の勢いはかなり激しい。

今わたしが勤めている店舗もオープンしたばかりの店で、新しいメニューを勉強したり、経験のないスタッフを教育たりは、楽しくも、結構大変である。 

 

そんな中、先日、別のオープンしたばかりの系列店にヘルプ(人手が足りない他店のシフトに入ること)に行くことになった。

その時に強く感じたのが、店舗展開ばかりを進めた先にあるのは闇だということだ。その店舗で、闇の一端を見たからである。

入社した当初から、会社の足並みのそろっていない感じがしたことは何度かあったが、今回のヘルプでは、それどころか闇が見えてきたので、書かずにはいられなくなった。

ヘルプ先でのできごと

闇の話に入る前に、そもそもそヘルプ先店舗が抱えている問題を書いておく。

それは、オープンしたての店舗なのに、店が別の会社の店に変わることが決まっているということだ。

箇条書きで整理すると、こういうことだ。

  • ラーメン業界では、会社同士で「ここにはうちが出店するから、あなたは出店しないでね。会社同士でパイの取り合いはやめましょ」という縄張りがある場合がある。
  • うちの会社が、他の会社の縄張り内に出店(←調整がうまくいかなかったそうです)
  • オープン直前に、会社同士の再調整の結果、オープン1カ月後に相手の会社に店を譲ることが決定
  • 予定通り、うちの会社の店としてオープン
  • オープン店長は、現在、その店の店長という職務のまま、別の新店の店長として出張中
  • だから、一般社員が店舗責任者(しかも、もうすぐ別の会社の店になる店のね!涙)
  • あと数週間で、店を譲る予定。その他、いろいろな理由から、全スタッフのモチベは最悪(←今ココ)

わたしもこれを聞いたとき、マジで!?こんなことってあっていいのかよ!?と思った。

 

実際、店の状況は予想以上のヤバさだった。どのくらいヤバイかを、営業開始前、営業中にわけて整理してみる。

【営業開始前】※わたしのシフトは、10時~18時。

  • 10時の時点で店全般のことがわかる社員がいないし、必要な情報共有がなされていない(わたしはキョロキョロしながらピッチャーに氷入れるしかなかった)
  • 営業開始直前に社員が来るも、挨拶なく、パソコン業務をちゃちゃっとやったのち、会釈のみして「また16時頃きまーす」と言って帰る。
  • バイトの子は、スープの正しい作り方の中のいくつかの工程を省いており、おいしくないスープが出来上がっていた!!

いや、いいんですよ。

別に、忙しい自店舗が負担してヘルプに来たわたしに挨拶がなくても、いいんです。(ホントはよくないよ!)

ただ、「〇〇さん、テンション低くない?」とバイトの子に聞くと、「いつもそうです」という答えが返ってきたことにびっくりしたのだ。

遅番明けならまだわかるけど、いつもって。。。オープン直後に他の会社の店になることわかったら、そりゃモチベも下がるけどさ・・・

 

あとは、レシピのいくつかの工程を省いていること。

これはもう、ダメ。ホントにダメ。どこの店でも見たことのない光景だ。お金を払って食べにくるお客さんに出すものに手抜きはダメだよね、絶対に。(提供できる基準をかろうじてクリアする程度)

 

営業中も、モチベの低さ、教育のいきとどいてなさが、こんな感じでヤバかった。↓

【営業中】

  • 笑顔も元気もない。
  • 手が空いていても、プラスアルファの動きは全くない。
  • チャーハンの作り方、まずすぎよ。
  • 物がよくなくなる、物を大切にしない
  • 厨房内の清掃ができてない

説明すると、きりがないので、チャーハンの作り方だけ詳しく。。。

わたしは営業中、スタッフに指示を出しながら、ラーメンを作っていたけれど、横の焼き場で、チャーハンを作っているスタッフの様子がおかしいことに気が付いた。

中華鍋に、ご飯や卵を入れているのに、ジューという焼ける音も煙もなかったのである。

いやいや、そんなはずないよなと思いながら、しばらく見ていると、調味料、薬味を入れて、ご飯をかき混ぜ始める段階にあるのに、一向に音と煙はなかった。

ちょちょ、ちょい。。。

さすがに、このままいったらまずいということで、失礼なのは承知で、「あのさ、火、ついてる?」と聞いた。

すると、「ついてますよ」と鍋を上げて見せてくれた火は、一番の弱火だった。ちなみにチャーハンは、工程の9割を強火で作るのは基本中の基本だ。

彼女の話によれば、「〇〇さんは、最後だけ強火にすればいい」ということだそうだが、そんなはずはない。

内容も間違いだし、万が一そんな教え方をしていたとしたら、それも大問題なわけである。

チャーハンの作り方が間違ってることくらいはと思って教えようとしたが、暇がなく、彼女はシフトを終えて帰ってしまった。積極的に聞きに来ることもなかった。

 

こんな店が、同じ会社の系列にあることにかなりショックを受けたし、廃業していく店や、落ちていく会社の一端を見たような気がして、とてもいやな気持になった。

これが、わたしの見た闇である。

結局、店舗展開に「人」が追い付いていないということ

会社は、年間20店舗くらいのペースで店舗展開を進めると言っている。

  1. 社員が入らない
  2. 入ってもすぐ辞めていく
  3. そもそも教育には時間がかかるし、現場に余裕がない。だから人が育たない

※人材不足の三段活用である。(笑えない冗談)

 

人が育たない状況なのに、店舗展開だけが進む。

↓

サービスの質が下がる。

↓

お客さんが入らなくなるし、常連さんが離れていく。

↓

その波が広がり、会社として立ち行かなくなる。

 

会社の規模が小さかった頃とは違い、仕事は仕事、それ以外は仕事のことは考えたくないというスタッフも増えている。だからなおさら人を育てるのが難しくなっている。

飲食に限らず、店舗展開戦略に失敗して市場を去ったり、規模を縮小したりした企業は多い。

その轍を踏みかけているのではないか、うちの会社、このスパイラルの中にいるんじゃないかと心配でしかない。

店舗展開ばかり進めた先にあるのは闇だと思うので

店舗展開ばかり進めた先にあるのは、会社規模の縮小、最悪の場合「倒産」という闇だと思う。

今回のヘルプを含め、これまでの経験から感じることは、以下の3つだ。

  1. 人が十分育っていないのに店舗展開が激しく進められていること
  2. 1にも関連するけれど、正しいやり方や作法が伝えられず、末端に行くほど薄まっていること
  3. 現場に余裕がなく、営業を回すので手いっぱいになりがちな事

 

経営に関する専門知識がなく、転職して間もないわたしは、現場感覚からしか言えないが、店舗展開は人の成長に合わせて進めてほしい。

 

これでは、見えないところでどんどん正しいやり方が伝えきられずに行ってしまう。

社長臨店など(社長などが一店舗に来て、営業状況などの現場確認をすること)はあるけれど、その時には店舗として万全の準備をする。どこまで現場の状況を把握されているのかはわからないし、報告される数字だけでは見えないところがほとんどだろう。

だからこそ、経営陣には、もっときちっと現場を見てほしいし、現場からの本音や現状が上に届きやすくなるようにしてほしい。

 

この会社は、社長の個人営業店から始まった。その時の味や雰囲気が出なくなったら終わりだと思う。

それができているのか、できていないのか。できていないならできるようになるまで、どのくらいの時間や人材が必要なのか。

こういう現場の声が、飾りっ気なしで経営陣に届くような雰囲気をもってほしい。これは、会社の規模が大きくなるほど難しくなるのだろうけど、昔はあったはずだ。

 

また、経営陣は、前進速度を落とすという「一種のやめる勇気」を持ってほしい。

現場はかなり苦労しているけれど、何とかやれる状態だから、今はまだいい。でも、このペースのままでいったらまずいのは、間違いない。

当初計画していたことをやめたり、スピードを落とした方がいいというのは、思っていても、経営者の取り巻きはなかなか口に出せないかもしれない。

経営者として、決定するのにもかなり勇気のいることだとは思う。

でも、もうすでに、上に書いたような急な店舗展開のひずみが出始めている。

 

わたしは、この会社の理念、味、職場の人間関係、仕事の内容全てが大好きだ。

だから、お客さんには、出し得る最高のものを提供したい。他の店が落ちていくのを見たくないし、会社が変な方向に行くのも見たくない。

店舗展開ばかりを進めた先にあるのは闇だと思うから、人が育つのをちょっと待ってほしい。

現場では、通常の営業や管理をしながら責任をもって、しっかり教育もする。だから、こういう努力や思いきちっと評価して、戦略的に正しい判断をしてほしいと心から思っているのである。

はてな匿名ダイアリー(増田)は熱い

みなさんは、はてな匿名ダイアリー(増田と呼ばれる)をご存じだろうか?

知っている方がほとんどだと思う。

ちなみに、増田、と呼ばれるのは、匿名ダイアリー=アノニ「マスダ」イアリーなので、増田と呼ばれるようになったそうだ。

 

ブログを始めてから約1年になるけれど、ブログを読む楽しさを知ったのは最近かもしれない。

ブログは、どんな記事であれ、人の体温というか、伝えたいという熱量を感じられるところがいい。それこそが、ブログの醍醐味ともいえるんだと思う。

 

読む楽しさを知って最近思うのは、伝えたい熱量(感情や気持ち)が文章になって出てくるとき、文章のうまい下手はあまり関係ないかもしれないということだ。

正直、文法的にどうよ?っていう記事は結構多い。(わたしも含む)

文法誤りが多いのは、はてなブログよりも増田だと思うけれど、熱量の熱さを特に感じるのも増田だから不思議だし、おもしろい。

 

まず、記事(っていうのかな?)のタイトルが熱い。増田を見に行くきっかけがあったので、さらっと見てみた。

今見ただけで、

  • 誰との接点もない
  • 結婚しないんですか?って言われたんだけど
  • 書店に色紙を描く意味がわからん
  • 友達の作り方が知りたかった

というものがあった。

もうタイトルだけで、読まずにはいられないものばかりなわけである。

 

ブログをされている方の多くは、記事の中での結論というか、伝えたいことというものを明らかにすることがほとんどだと思う。

実際わたしは、そのように構成した記事がほとんどだ。

読み手に媚びようとかそういうことではないけれど、読まれるなら何かはっきりしたことを伝えたいし、自分の中に蓄積していきたいと思ってきたからだ。

 

でも、それにしても増田のこの熱量は何だろう?

何か結論や学びがあるわけでもない(けなしているわけではない)記事なのに、タイトルでぐっと胸倉をつかまれ、読んだ後は胸を突かれたり、心が温まったり、頭を殴られたり。

とにかく、心を揺さぶられるのである。

 

もちろん、整っていることが多いブログでも、その熱量を感じられるし、書き手との会話を楽しめる感覚はある。

だから、ブログと増田どちらがいいというわけではないけれど。

 

もしかしたら、ブログでは、顔見知りの方と会話を楽しむ感覚で、増田では、泣いたり怒ったり、大笑いしたりしている人を見ている感じなのかもしれない。

だからこその、匿名、感情を放出される場所。

ブログは、ある程度定期的に投稿されることが多く、書き手は毎日感情を放出しているわけではないので、ある程度落ち着き、整うものなのだと思う。

一方、増田は誰が泣いて、怒って、大笑いしているのかがわからない。

とにかく、ゴチャゴチャしているし、うるさく、熱すぎて、長くいるには居心地はよくないかもしれないけれど、心が動くのである。

 

整っていないのに、十分に魅力的な増田を見た。

 

先日、文章がまとまらないという記事を書いたけれど、整った構成、わかりやすい文章を書くことに気を使いすぎていたのかもしれない。

ブログなんて(と言ったら「斧」が飛んでくるかもしれないが)、あくまで趣味だし、それがストレスになっては本末転倒。

思ったことを好きに書けばいいし、書かなくてもいい。

増田には、そんなブログの原点を思い出させてもらった。

文章がまとまらない

ここ最近、記事がまとまらないし、興味や集中力が続かない。

どうしたんだろうな?

仕事への熱量、ブログへの熱量が下がってきているのか?

いえ、そんなことはありません、ないはずです。

 

最近書いて、途中で考えがまとまらずに消した記事は3つ、書いている途中で集中力がなくなって放置(保留)している記事は7つ、記事タイトルだけ書いたものは、10コにもなる。

今も、この記事を書いているけれど、ついさっきまで「仕事と趣味の境界線があいまいになってきた」という記事を書いていた。

その途中で、好きなことで生きていくというフレーズが入ってきて、記事が膨れすぎてやめた。(消去!)

 1,000字以上は書いていたんですけどね。。。

 

どうしたんだろうなって思う。

これまでも、途中で保留したり、思いついたことをタイトルと大まかな構造だけ書いておくことはあったけど、今ではその数が多すぎるし、書いている途中で興味や集中力を失って消すことが多すぎる。

仕事から帰ってきて、ドバァーっと書いて翌日見直して投稿!という感じでやってきたが、そういうこともない。

最近は仕事から帰ると、読書をするようになったし、読みたい本がないときは体を動かしたいと思うようになった。

これ自体は、別にブログを絶対書かなきゃいけないというわけでもないので、別にいいのだけれど。

 

Twitterの影響かな?とも思う。

たった140文字なら、思いついたことや、思っていることを要約して投稿できる。その手軽さで毎日投稿している。

すぐ投稿できて、反応がもらえるのもおもしろい。

 

そして、ブログ。

「書きたいこともたまってきたし、さて書くか」となってからは、こんな感じで書いている。

  1. 何を言いたいのかを明確にする
  2. 記事の構造を決める(大項目)
  3. 大項目の中で言いたいことをメモ
  4. 構造の流れで、メモをふくらませながら書く

※この記事は、別の記事を書いている途中で、書くのをやめて消してしまったのでその勢いで書いてます。なので、1~4の順を踏んでません。

 

書いている記事の興味を失うこと、集中力がなくなることはほぼ同時に来る。

わたしの経験上、たいてい4で来る。

パチパチ進めて、結構な文字数になってきたときに記事を読み直してみると、大項目の中でまた別の話が出てきたり、大項目同士が同じような内容になってきたり。。。

そもそも、大項目で分けずに一気に書いた方がよかったかも?と思ったり。

実際、項目分けずに書く方が好きなタイプです、わたしは。

そういうことを考えながら、ガチャガチャやっているうちに、もういいやってなっちゃうんです。

要は、考えが、文章が、まとまらないんですよね。

 

Twitterだったら、そのまとまらなかったところを切り取るだけで投稿できる。よく、Twitterの方が140文字に要約しなきゃいけないから難しい、という話を聞くけれど、それは本当にTwitter職人レベルの話であって、とても質の高いツイートをしようとしているからだと思う。

わたしのような一般のブロガーであれば、どう考えてもTwitterの方が簡単なのだ。

瞬発系のトレーニングしかしていないと、持久系が衰えるというのを聞いたことがあるけど、それだろうか。

 

文章を書くことを仕事にしている作家さんや、専業のブロガーさんって本当に大変なんだな。

「なんだか文章がまとまらないぞ」だけじゃすまないでからね。

 

結論、ブログを始めて約1年経つけど、まだまだ一人前じゃないってことだと思う。

書きたい、書きたくない。

読みたい、読みたくない。

書いているうちに興味を失ったり、集中力がなくなったり。でも、猛烈に書きたくなったり。

別に書かなくてもいいし、書けなくなってもいいのに、それじゃいけない気もしたり。

なんなんだろうね、これって感じです。

 

こんなに考えと文章がまとまらないのはブログ初めて1年で初めてですよ。

結構きついですよ、正直。

記事まとめて投稿したいのに、できないのだから。

ただ、こんなときは興味の向くことに目を向けて、ブログを書きたい気持ちが高まった時に書けばいいんだと思う。

そうじゃなきゃ、趣味ブログの意味ないですからね。

でも、こんな「文章がまとまらない」ことすら記事にできてしまう、そんな趣味でやれるブログはやっぱり居心地がいいという気持ちも。。。

 

これからも、文章がまとまらないことがあるかもしれない。

そんなときは、読んでくださるみなさんと、ブログを始めた1年前の自分と、ブログという環境に感謝しつつ、休みつつ、好きなことをゆっくりと書き続けていきたい。

趣味なのですから。

 

みなさんは、文章がまとまらないことってありますか?

ブログに書く記事の内容は、そのときの生活や状況で変わるもの

ブログは、自由に好きなことを楽しんで書けばいい。

わたしは、常にそう思っている。

でも、逆に、ウケのよさそうなことを書きたくなったり、ウケの良くなさそうなことを書くのを辞めそうになったりと心が揺れるときがあるからこそ、このようなことを言うということでもある。

気持ちのせめぎ合い。

難しいな、奥が深いな、ブログって。

だからこそおもしろいのかな、と本当にしみじみそう思います。

 

さて、この記事では、ブログに書く記事の内容は、そのときの生活や状況で変わるものだということについて書きたい。

これは、昨日、わたしがブログを始めたばかりのころから読んでくださっている方から、「めんおうさんの最近の記事、昔と変わりましたね」と指摘をいただいたのがきっかけ。

この指摘以外にも、最近、同様の指摘を受けることが何度かあったのだ。

 

みなさんは、前から読んでもらっている人に、「あなたの記事、最近ちょっと変わりました?」と言われたらどう思いますか?

わたしは、読んでもらうために!と意気込んで書いているわけではない(読まれたい気持ちもあって複雑だけど)けれど、このような指摘を受けると、少しばかり自己不信になる。

おれ、変わっちゃったのかなって。

 

確かに、昔とは取り扱う記事の内容は変わっているところが多い。

ブログを始めた当初は、転職したばかりということもあって、仕事や家族の事ばかりだった。

それが、仕事が落ち着いてきたのと、Twitter等のSNSに触れる機会が増えたことで、Twitterで話題になったことの是非や、それについての自分の意見を書くことが多くなった気がする。

 

わたしは、記事を書くときには、自由に楽しく書けばいいと思っているけど、書くときの熱意は、欠かせない要素だと思っている。

どうせ書くなら、自分にとっても印象的な記事になればいいし、人からも読んでもらいたいからだ。

だから、熱い気持ちで書き始めて、それをすべてキーボードに打ち込んで、書き終わったころには「ふぃー」と一息つけるようなのがベストだと思っている。

熱い気持ちというのは、当然、感動やうれしかったことというのもあるけれど、「怒り」が一番手っ取り早いというか、記事に打ち込みたいという気持ちに変わりやすい。

危ないよね、気を付けないと。

わたしも、SNSで怒りの住民になってしまっていた部分があったのだろうか。

 

でも、一つ確かなのは、ブログに書く記事の内容は、そのときの生活や状況で変わるものだということ。

ブログで生計立てようって人は、そうもいかないのかもしれない。

みんなが知りたいことや、気になることを書き続ける必要があるから、みんなの動向に沿ったものを書く必要があるだろうから。

でも、趣味ブログは違う。

わたしの場合は、そのとき思いついたことを書いている。

何に力を入れているか、どこでどんな暮らしをしているか、何を楽しんでいるか・・・こういうことで思いつくことは変わるのだ。

だから、記事の内容が変わったとしても、書き手の人格がまるっきり変わったわけではなくて、これまで記事にしてこなかった自分をはじめて出したということであって、それも自分であるということなのである。

もちろん、ちょっとずつ考え方が変わることもあるけれど。

 

いろんな記事を書いているからこそ、すべての考えに賛同をもらえるとは思っていないし、違う意見があるからこそ、新しい発見もある。

わたしはこれからも、いろんなことを体験し、いろんなことを思って記事を書く。

それは仕事のことかもしれないし、SNSのことかもしれないし、他のことかもしれない。

そして、書く時期によって、内容が違うかもしれない。

でも、わたしという人間がまるっきり変わってしまうわけではなくて、新しいわたしが出てきたり、ちょっとずつ変わったり、そういうことだと思う。

 

ブログは、自由に好きなことを楽しんで書けばいい。

だからこそ、ブログに書く記事の内容は、その時の生活や状況で変わっていい。ブレていいものなのだ。

ブロガー界隈のプロブロガーの言動に見る仕事の本質

ブロガー界隈では、これまで常識だとか、いいとされてきたことに真っ向から反する内容がまことしやかに発信されている。

  • 大学辞めてプロブロガーになれ
  • 大学行くくらいならサロンに入れ
  • 投資しろ、株がダメならFXだ
  • 会社員はオワコン、銀行もオワコン

こういったものは、プロブロガーたちが率先して発信する場合もあるし、若い世代がしたものに対して、彼らが応援する発信という形でされる場合もあるけれど、これを見て思うのは、ちょっと考えれば明らかにおかしいものを、どうして界隈の人たちは批判しないんだろう?ということ。

界隈には、褒め合える人たちだけで一緒にいよう、という謎の空気もあって、批判してはいけない空気があるのだろうか。

きっと、「批判したらお前はもう仲間じゃないよ、付き合わないよ」という村八分を無意識に恐れているのだろうと思う。

界隈の人たちは、目立つことによって稼いでいるので、親しい友達というように見せかけて、実は利害がビンビンなビジネスの関係にある相手を批判し合えないのだろう。

詳しくはこちら↓

www.bloglifer.net

 

さて、こういう発信が頻繁になされる界隈だけれど、最近、プロブロガーやそのチルドレンたちの発言内容が定まらなかったり、YouTube始めてみたりとどうも雲行きがあやしい。

彼らは、ブログの「プロ」であって、何をするにもそれが仕事なのだけれど、わたしが転職したときに行きついた、仕事の本質と照らし合わせてどうなのかな?と疑問に思ったので、考えてみたい。

仕事の本質は、人の役に立ったり、人の痛みを取り除いたりすること

「まさに今、仕事として具体的にやっていることが好きなことで、その結果、人の役に立てたことが実感でき、それが自分の幸せにつながること。」

これがその人に合った仕事であり、その本質なのだと思う。

そしてこの、「自分の幸せにつながる」という部分、ここが強ければ強いほど天職なわけだと。

わたしの前職は公務員なのだけれど、階級が上り、影響力のある仕事を任されるほど、何のための仕事なのかがわからなくなっていった。

  • これ、上司と組織のメンツのための仕事じゃ・・・
  • 組織の矛盾に抗いたいけど、できない・・・
  • この仕事、絶対、絶対、絶対にうまくいかないし、うまくいったとしてもムダ・・・

という感覚を常に抱いていた。(省庁の幹部職の人、わかってくれるはず・・・)

定年退職したときに、納得した職業人生を終えられるか?子供にかっこいいおやじの背中を見せられるか?仕事のことを語れるか?

わたしは、こういう疑問が解消できなくて、転職を決意した。

転職先は、具体的にやることが好きなこと(料理等)で、人の役に立つことが実感できる(しかも30代からでも活躍の場がある)ラーメンベンチャー。

 

概念的なところを書いてきたけれど、妻、子2人持ち30代で経験のない分野への転職となれば、相当悩むもの。

仕事に対する姿勢や考え方はいろいろあるけれど、仕事の本質は、人の役に立ったり、人の痛みを取り除いたりすることだと思うのです。

界隈の方は、稼ぐ、稼ぐとは言うけれど、その先をだれも口にしない

仕事の本質について、上のように確信を持っているのだけれど、最近気づいたのは、界隈の人は、稼ぐ、稼ぐとは言うけれど、その先をだれも口にしないということだ。

  • ブログは稼げる、ブログやれ
  • (有料)サロンに入れ、そこで学べ
  • たった1か月で〇万円稼いだ
  • 寝ていても稼げるブログは最高(←微々たるものでも、確かにこれは実感できるけど)
  • PV、収益上げる方法はこの有料noteで!

こういう発信は、今、Twitterの履歴を見ることなく打ち込めたように、もう何度も目にしている内容。

どれも、稼ぐ、稼ぐということ。でも、だれもその先を口にしない。

稼ぐことばっかりで、その先には何があるんだろう?これは本当に疑問。

生きるのに最低限必要な資金を稼ぐのに必死になるならわかるけど、そういうわけでもないでしょう。というか、もしそうならブログで生計立てれるとは言わない。

稼いだ先に何もないなら、それは、幸せというのだろうか?多分違う。

やっていること自体が好きで、楽しいものなら、最初はいいけれど、稼いだその先に「人の役に立っている実感」がなければ長続きしない。

人は、誰かのためになら頑張れるけど、お金のためには頑張れないものなのだ。

界隈の人は、実はみんな気づいているのではないか?ブログ、note、サロンなどが、得られる収益ほどに人の役に立っていないことを。。。

 

 

  • 会社員ディス
  • 煽り
  • 内容のない儲け話への誘導
  • YouTubeに挑戦するも、うまくいかない

少なくともこれらは、おもしろコンテンツとしての役立ちでしかない。こんな言動の先に「人の役に立っている実感」などあるのだろうか?

 

ブロガー界隈のみなさん、教えてください。

あなたたちの仕事は、だれの役に立ってますか?だれかの痛みを取り除いてますか?だれかを傷つけるだけになってませんか?目先の稼ぎばっかりになってませんか?

人生を終えるとき、納得して幕を閉じられますか?

人の役に立つこと、痛みを取り除くことで幸せになろう

繰り返しになるけれど、仕事の本質は、まさに今、仕事として具体的にやっていることが好きなことで、その先にいる、人の役に立てたことが実感でき、それが自分の幸せにつながること。

わたしは今、これを日々感じられていて、とても充実した毎日を過ごせている。(休みと給料はもうちょいほしいぞ)

 

ここまで、ブロガー界隈へのアンチ的とも言える内容を書いてきたけれど、実は、そればっかりではない。

この上の項目の、「プロブロガーのみなさん、教えてください」以下の内容は、何も、彼らに限った話ではなく、だれにでも当てはまることだし、日々充実した生活を送るために必要な考え方だからだ。

 

繰り返します。

みなさん、教えてください。

あなたたちの仕事は、だれの役に立ってますか?だれかの痛みを取り除いてますか?だれかを傷つけるだけになってませんか?目先の稼ぎばっかりになってませんか?

人生を終えるとき、納得して幕を閉じられますか?

 

これから仕事を選ぶ方、転職を考えている方はよくよく考えるといいと思います。

具体的にやる仕事が好きな事で、その仕事の結果、人の役に立て、それが自分の幸せにつながっていることを実感すること。

ここに仕事の本質があり、生きがいがあるのだと思います。

伝えたいことを伝えるというのは神の業

最近、糸井重里さんの書籍「インターネット的」を読んで、久しぶりに震えるほどの知的感動を経験したので、感じたこと、考えたことを書きたい。

 

インターネット的 (PHP新書)

インターネット的 (PHP新書)

 

 

この本では、インターネットが普及して生活などが便利になったこと以上に、人の考えや暮らしがインターネット的(フラット性、不完全性など)になったことによる衝撃が大きいということが書かれている。(←わたしなりの理解なので悪しからず)

 

ただ、本の内容もさることながら、糸井さんの文章の書き方に感動した。

糸井さんは「ほぼ日刊イトイ新聞」(https://www.1101.com/home.html)というブログを運営されており、ブロガーでもあるのだけれど、本の文章が読みやすいったらなかった。

  • スラスラ読める
  • 熱(体温)を感じる
  • 難しい内容や糸井さんが経験したことが具体的に理解できる

話し言葉で書かれている糸井さんの文章には、控えめに言って、完全に引き込まれた。

時にやさしく、時に鋭く。語り口だけでなく、物事を見る角度も違った。

 

わたし自身、ブログを始めて10カ月くらいだけれど、人一倍、自分らしいブログとは何かについて悩んできたし、自分なりの答えをもって、楽しく自由にブログをしてきたつもりだった。

文体でも十分悩んできたので、今では、満足のいく文体で書けていて、読み手にも伝わりやすい文章が書けていると思っていた。

でも、それがうぬぼれというか、まだまだ不十分だし、もっと素敵な文章を書く人がいるということに、本を読んで気づいたのである。

 

そこで思ったのは、伝えたいことを伝えるというのは神の業に近いものがあるということだった。

これには以下のような、3つの理由がある。

伝えたいことは何かが明確でないと、そもそも伝わらない

まず、伝えたいことは何かが明確でないと、そもそも伝わらないということ。

わたしが記事を書くときに一番悩むのは、ブログタイトルだ。

これって、伝えたいことが不明確なんじゃ・・・といつも悩みながらタイトルを決めている。

この記事だって、「伝えたいことを伝えるための方法」とか「伝えたいことが伝わらない理由」というようなタイトルにもできるわけだし、実際少しだけ迷った。

でも最後は直感で決めている。

いつもタイトルを決めるときにしているのは、記事を書かずに一言で言いたいことを言うとしたら?ということ。

そうしたら今回の場合は、このタイトルのようになった。

書き手が何を伝えたいのかわからないまま、追われるように書いたって、そりゃ伝わりませんよね。

伝えたい気持ちがなければ伝わらない、とも言えるかもしれない。

頭は宇宙のようなもので、伝えるには、グニャグニャと動く無限の考えや感情のほんの一部選び取って、つなげる必要がある

文章がうまい、下手とかいうことがよく言われるけれど、実はそれ以前に大きな問題があったのである。

それは、人の頭の中は、記事を書いているときでさえも、伝えたいことや記事作成作業の事ばかりを考えているわけではないということ。

少なくともわたしはそうなのだけれど、頭のどこかでは早く寝たいと思ってるかもしれないし、本読みたいと思っているかもしれない。

また、生理現象はとてつもなく大きな問題で、例えば「おしっこいきたい」はもう、感じ始めたらきりがないもので、時間とともに記事を書く集中力を奪っていくわけである。

こんな感じで、頭は宇宙のようなもので、実際その中にある考えや感情は無限にあって、しかもグニャグニャと動き続けている。

この記事を書いているまさに今も、腰と手首が痛いと思いながら書いている。

そんな中で、伝えたいことを文章に起こしていくのは、ほぼ無限にある考えや感情のほんの一部を選び取ってつなげていく作業なわけで、宇宙に命を生んだ神の業に近いと思うのである。

だから、人のブログ、人が書いた記事にはどんなものであれ、敬意を払いたいと思うんですよね。

伝わるように表現する必要がある

最後はこれ。伝わるように表現する必要があるということ。

これはだれもが想像できることだと思うけれど、伝えたいことが明確で、頭の中でまとめたら、あとは外に出すということだ。

でもこれも、かなり奥が深い。

ここから先は、伝える手段とその使い方の話になるだけれど、伝えるためには文章、図表、動画などの手段がある。

わたしの場合は、ほぼ文章。でも、人によっては他の方が得意なこともあるだろうし、伝えたい内容によっては図表などを使った方がいい場合も多いとは思う。

内容に応じてベストな手段を見つけたら、あとはその使い方。

文章の話をさせてもらうと、ですます調、文語、口語などいろいろある。

文字の色、大きさ、太さ、改行もある。

ホント、奥が深い。

だからこそ、おもしろい。

 

どんな手段で、どのように伝えてもいい。

自分に合ったものがまだ見つかっておらず、ブログを書いていてしっくり来てない人がいたら、本を読んだり、他の人のブログを読んだりして、自分の好きなものを見つけるといいと思う。

最初はマネてみるところから。そこから「自分」を出していけばいいと思う。

伝えたいことを伝えるというのは神の業

最後に、伝えたいことを伝えるというのがとても奥深くて、おもしろいことだし、他の人が生み出したものに対する敬意を持とうよということを言いたい。

Twitterを見ていると、「発信せよ、発信せよ」と言われるし、発信至上主義のような雰囲気に疲れることが結構ある。

発信って、伝えたいことを伝えるということですよね?

これまで書いてきたように、そんなに簡単なことではないですよ。これは。

それに、ある意味、考え方によっては神秘的なことですからね。

 

糸井さんの書籍「インターネット的」を読むまで、「伝える」ということについてはそこまで考えることはなかった。

自分が気持ちのいい文章を書くことについては意識していたけれど、読み手の方にはあまり気持ちを向けていなかったのかもしれない(反省)。

 

一言に発信と言っても、「伝える」というのは、これほど多くの要素があり、奥深いもの。

自分のブログのPVとか、人の記事のこいつ気にくわねぇな、ということよりも先に、目の前に人の頭から出てきた文章があるということ自体、偶然に偶然が重なったすごいことだということに気づけたらおもしろみも増すでしょうし、敬意も払うものだと思うんです。

少しでいいので、「伝える」ということについて、考えてみてはいかがでしょうか?

 

ではまた!

目標に向かってがんばるのがすべてではない

この記事のタイトルをどうするかについて、結構迷った。

上のように、「目標に向かってがんばるのがすべてではない」にするか、「転職を経験してわかったこと」にするかで迷ったのである。

転職を経験してわかったこととして、一番大きかったことが、「目標に向かってがんばるのがすべてではない」ということだったからだ。

ただ、これをより強調したいと思ったので、前者に落ち着いた。

 

さてわたしは、転職して9カ月が経ったのだけれど、転職当時もさることながら、最近特に強く感じている、「目標に向かってがんばるのがすべてではない」ということについて、この記事で書いていきたい。

以下、書いていくけれど、読んでいただくにあたっては、目標に向かってがんばることを全否定しているわけではないことをあらかじめご理解いただきたい。

目標に向かって必死すぎた前職でのこと

わたしの前職は国家公務員なのだけれど、仕事のすべては出世のためになっていた。

それにしか、どうしてもモチベーションが向かなくなってしまっていることに気づき、定年までそれをやり続けるのに疑問しか感じなくなったのが、転職を考えるきっかけだった。

今考えれば、特に転職前数年間は、出世のために必死になっていて、仕事も日常生活もまったく楽しくなかった。

というのは、昇任試験の面接で、日ごろ何に取り組んだか(何をがんばったのか)を話すものがあり、そのための仕事になっていたのだ。

そういうこともあって、休憩中や休みの日の過ごし方もどこか落ち着かず、好きだった読書も仕事関連のものばかりになっていた。

このころの目標は試験合格と、どういうルートで最終的なポジションまで行くか、ということになっていて、生活のほとんどすべてがそれに向いていたと言ってもいい。

当初は仕事とその他の生活を切り離せていたけれど、出世欲というか、不安感というか、そういう色々混ざったドロドロの塊は、すぐに日常生活全般を飲み込んだのだ。

繰り返しになるけど、転職前数年間のわたしは、仕事はそこまで忙しくないのに、心が疲れてボロボロになっていた。

実感はあまりないけれど、家族にもよくない影響を与えてたんじゃないかな。。。

晴れの日に、ただ散歩を楽しむように過ごす時間があってもいい

最近、一人で過ごす時間の中で、充実感を感じられる時間の過ごし方は、以下のようなときだということに気づいた。

  • 朝起きて、外を眺めながら、何を考えることもなくパンとコーヒーを摂っているとき
  • 風や音を感じながら、景色を楽しみつつロードバイクに乗るとき
  • 新しい発見を求めてする読書
  • 考えたことを、自由に、好きに発信するブログ、Twitter

 

わたしは、ずっとこういうことが好きなはずだったのに、、転職前数年間からずっと忘れ続けてきたことだったことに思い出したのだ。(個人的にはかなり大きな発見)

仕事が終わって、涼しい風に当たりながらの帰宅も頭は仕事のことばかり。

 

家族と一緒の夕食も早く終わらせて勉強。

仕事中も、自分の試験につながることしか考えられない。仲間との雑談すら、気持ち半分で聞くしかできない。

休日、家族と出かけても、ひとりで本を読んでいても「その時」をただ楽しむこともできない。

こうなってくると、病的だし、なんのために生きているのかわからないですよね・・・

でも転職前数年間のわたしは本当にこんな状態だった。

体のあるところに心がないような感じだったのだ。

唯一の救いは、この状態がヤバイということに気づくことができたこと、そして、転職を許してくれる家族がいたことですね。

 

何の目標もなく、ただそこにある今を、ただ楽しむ。

こういう時間の過ごし方は、晴れの日に、ただ散歩を楽しむことに似ている。

これって、何にも縛られず、究極に自由で一番贅沢な時間の過ごし方ではないでしょうか?

わたしはそう思います。

 

もちろん、目標を立てて、それに向かって必要なことを明確にして一つ一つクリアしていく、そして、それにエネルギーを向け、達成していくこと自体はすばらしいことだし、やっていて楽しく、魅力的なのは間違いない。

ただ、そればかりではなく、人生には、ただそこにある今を、ただ楽しむという時期や時間があってもいいということを信じたい。

 

要は、バランス感覚。

目標ばかりになると、上に書いたようなドロドロの塊がすべてを飲み込んでバランスを崩す。今を楽しむばかりでは、本当の意味での充実感を味わえない。

 

今、仕事、家庭、趣味のすべてがちょうどいいバランスの中にあって、転職前とはくらべものにならないほど楽しく、充実した日々を過ごせている。

何をしているときも、心が温かい感じがあるのだ。(満足しては成長はない、というけれど、現状に満足している感覚とは違いますよ!)

 

一度きりの人生、温かい気持ちで、充実した日々を過ごしたいものである。

ブロガー系インフルエンサーは、オワコンなのかもしれない

先日、何気なく思ったことをツイートしたところ、思いもよらず大きな反響があった。そのツイートは以下のようなもの。

 

これは、わたしが作っている、ブロガー系インフルエンサーのTwitterリストのツイートを、流し読みしていた時に感じたことだ。

 

ただ、以下のような前提があり、若干の偏りはあると思われる。

  • そもそもTwitterユーザーの数が限定的
  • その中でも、リストに入れているブロガー系インフルエンサーの数や影響力もたかが知れている(戦闘力数百万というわけではない)
  • リストに入れているインフルエンサーに偏りがある

この際、言いたい事の趣旨に合わないので、これは置いておく。

 

上のツイートは、134,000回以上見られ、270回以上リツイートされ、1,500以上いいねされているけれど、今なお伸び続けている。

リツイートやいいねは、強弱はあるにせよ、そのほとんどが賛同の意味のものだろう。俗にいう「クソリプ」的なものは一つもなかったからだ。

 

この出来事から一番強く感じたのは、ブロガー系インフルエンサーは、オワコンなのかもしれないということ。

理由は、以下のようにいくつもある。

  1. ブロガー系インフルエンサーは、フォロワー数がずば抜けて多い割に、そのツイートに対する反響が少ない一方、わたしのような弱小に対する反響(賛同)が大きかった。
  2. トップクラスのブロガー等だけでなく、中堅以下クラスのサロン等が流行、全体的に質の低下や、ブロガー系インフルエンサーへの信頼性が低下が見られる。
  3. 有料noteで情報商材が販売されているが、その内容よりも、著者の知名度で売れている現状(これは、買って読んでみて内容が大したことなかった、というわたしの経験に基づく)
  4. 上のツイートのように、ブロガー系インフルエンサーの言うことがどれも同じになってきており、飽きられ始めてもおかしくないのではないかという予想がたつ。

※さらに、あるブロガー系インフルエンサーは、「ブログにばっかり頼ってられない」、「ブログ以外の稼ぎ方を考えなければいけない時期に来ている」という危機感に基づく発信をしているのを見ることもある。

 

わたしは、32歳だけれど、今専業で大きく稼いでいるブロガーの多くも、わたしと同じくらいの年齢の方が多い。

わたしは、「ブログで生きていく」という生き方、働き方は、とても夢のあることだと思うので、彼らを応援したい。

ただ、今後10年、20年と時代が変わっていく中で、ブログが、そして、彼らがどう変わっていくのか、変わらないのか見ていくのも、ファンとしては楽しい趣味の一つである。

 

では、今後、この界隈はどうなっていくのか。

わたしは、今後は「読んで楽しいコンテンツ」を個人の力で発信していける人だけが、SNSで生き残っていくのかなって思っている。

なんだか最近、肩の力を抜いて、読んで楽しいコンテンツが見つけにくくなっていると思う。似たような記事やツイートばかりじゃない?という感じで。

ブログ運営報告、プロフィールの作り方、フォロワーの増やし方、Twitterの運用法などなど。

どれも興味深いし、おもしろくはあるけど、似たようなのばかりだとね・・・

参入する人が多くて、誰から学ぶかが同じだったら、そりゃ内容も似てくるわってことでしょうか。

 

これは、どの世界でも、どんな業界でも同じかもしれない。

参入者が増えると、全体的な質は落ちて、個性は薄まる。

これが今、副業ブームもあってブログへの参入者(もちろんわたしも含む)が多い状況。

そして、どうやればいいのか、どう動けばいいのかわからず、お金を出してトップを走る先輩に学ぼうとする人が多くなる。

その後どうなるかというと、結局うまくいかない人が多く、ブログで楽しめるコンテンツ(読み物)としての記事を発信していける実力者(とでも言えるかな)だけが残っていく。

そして、ブロガー系インフルエンサーの影響力も、ブログへの参加者が減少し、経験者や実力者が残るに伴って低下していくということ。

 

わたしはブログ、Twitterが心の底から大好きです。

頭の中身をこんなに自由に、多くの人に向かって吐き出せ、つながれる場所は他にはありませんよね。

わたし自身は、これからも、自分の経験から学んだことや、考えたことを発信して、気楽に楽しく読める記事を書いていきたいと思ってます。

この楽しい界隈、今後どうなっていくんでしょうね?

 

みなさんは、どう考えますか?

仕事に関する記事が減った理由

最近、ブログへのコメントや、Twitterへのメッセージで、「めんおうさん、ラーメンの記事はどうしたんですか?」というものや、「いつ、名実ともにめんおうになるんですか?」というのをいただいた。

※めんおうとは、「ラーメンの王」という、言うのもはばかられる大それたアカウント名です・・・冷汗

メッセージをいただけること自体、とてもありがたいし、うれしくも思うけれど、昔からブログを読んでいただいている方に、「あれ?ラーメンは?」と思われていることに、ある心苦しさを感じた。

 

ということで、この記事では、わたしがブログで仕事に関する記事を書くことが減った理由について書きたい。

みなさんの中にも、最初は仕事のことを書くためのブログだったけど、気づいたら書かなくなってた、という方もおられるのではないでしょうか。

 

さて、結論から言うと、仕事に関する記事が減った理由は、2つある。

それは、

  1. 仕事以外の時間まで仕事のことを考えるのが、正直きつくなった。
  2. 日々の経験の記録というよりも、思ったことを伝えたいという欲求が大きくなった

ということだ。

 

以下に、少し詳しく書いていきたい。

仕事以外の時間まで仕事のことを考えるのが、正直きつくなった

始めに言っておきたいのは、仕事がきらいになったわけでも、いやになったわけでもないということ。

あまりにも数カ月前の記事の内容と違うので、「めんおう、ついにラーメン辞めて、マジでプロブロガー目指してんじゃね?」みたいに思われている方は、そうではないので引き続き、よろしくお願いします。

ただ、仕事以外の時間まで仕事のことを考えるのが、正直きつくなった。

 

わたしは、公務員からラーメン企業への転職をきっかけにブログを始め、その後数カ月間は、仕事のことばかり記事に書いてきた。

それがとにかく楽しかったし、日々起こったことを残したい気持ちでいっぱいだったからだ。

 

転職後数カ月間は、こんなに違う世界があるのかというくらい、新しいことばかりで、とにかく仕事のことで頭がいっぱいの毎日だった。

朝起きる→出勤→ラーメン作る→帰宅→超短時間でブログ→就寝→朝起きる→・・・

の繰り返しだったのだ。

転職してから、仕事内容はもちろん、それ以外の部分にも、とても大きな変化があった。

だから、日々起きる小さなことも大きなことに思えたし、深く考えたし、感動的に思えた。(今思えば、これも一種のストレス反応かも?)

 

それが今では、仕事をきっかけに起こるいろんなことに慣れてきた。

もちろん、転職後に起こった出来事や感動を忘れたわけでも、今の仕事に倦怠感をもっているわけではない。

ただ、仕事以外の時間まで仕事のことを考えるよりも、「一息つきたい」と思うようになったのである。

 

というわけで、今は、仕事以外の時間は、

  • 好きなことを書くブログ
  • Twitter
  • 読書
  • 家族との時間

のどれかをするようになった。

 

休みのときくらいは、自由に、楽しくありたいよねってことですね。 

日々の経験の記録というよりも、思ったことを伝えたいという欲求が大きくなった

上にも書いたように、ブログを始めた理由は、「記録」だった。

今でもその要素はあるけれど、記事を投稿して読まれ、反応をいただく経験を通して、「記録」よりも「思ったことを伝えたい」欲求が大きくなっているのを感じる。

これは、人からいただける反応とセットのもの(承認欲求ともいうのかな?)だと思う。

  • こんなことあったんだ。
  • こう考えたんだ。
  • こう思うんだ。
  • これってどうよ?
  • これは違うと思うんだけど・・・

こういうことを記事にして発信し、みなさんからコメントをいただいたり、多くの方に読んでいただくこと。

これがこの上なく楽しいこと、ワクワクすることに気づいたのだ。

今のところ、「記録」よりも、「伝えること」が楽しいということですね。

これ、時期によって変化するものなのかな?

まとめ

ブログをする理由なんて、何でもいい。

時期によって違ってもいいし、前の記事と違うことを書いていたっていいと思う。

今わたしは、転職前後の激動(心も体も何もかも、ホントに激動でした)から、仕事に慣れて、ようやく落ち着いてきたところで、長時間労働のつかの間の休日や休憩時間に一息つくのがとにかく楽しみで、毎日過ごしている。(であっても、仕事中は仕事がこの上なく楽しいという贅沢をしている。←給料少ないのが難点!)

というわけで、記事の内容が、少し前とは大きく変わっている。

 

以前から、めんおうブログを読んでいただいていて、「おい、ラーメンは?」ってなっている方には申し訳なさを感じつつも、今はこれが楽しいので許してくださいね笑。

もちろん、仕事での出来事で、記録したいことや伝えたいことがあれば記事にします!

やっぱりブログやるときくらいは、肩の力を抜いて楽に、その時の気分で好きなことを書いていたいんですよね。

 

これが、今の正直な気持ちです。

これからも、よろしくです!

 

ではまた!

インフルエンサーたちの描く世界を想像してみたら、地獄絵図が出来上がった

最近Twitter、ブログ界隈をにぎわせているのが、「大学(会社)辞めてプロブロガーになるべきかどうか論」。

正直、人の人生なんだからどーでもいいじゃんって話なのだけれど、それじゃ議論にならないし、口を出したくなるのが人というもの。

わたしも先日、こんな記事↓

www.zinseitanosiku.com

を書いたところである。

ブログって、大学は辞めるほどのことでもないんじゃない?

大学で得られるものって絶対あるよ!

ということを書いたのだけれど、この際、それは置いておいて、某インフルエンサーたちの描く世界を想像してみた。

Twitterでは、フォロワー1万人以上を抱えるインフルエンサーがいるけれど、彼ら、結構すごいんですよね。

何がすごいかって、これまで常識と言われてきたことや、学校で教わってきたこと、価値観を批判すること、批判すること。

実際、目の付け所や、その切り口は、普通気づかないでしょっていうようなところもあって、皮肉なしにホントにすごいと思ってます。

ただ、そりゃないだろ!?って思うところもあるのも事実だけど。二言目には「時代が変わった」って言うしね!

 

さて、ご存知の方が多いとは思うけれど、インフルエンサーにはいろんな肩書の人、いろいろなことを言う人がいる。

  • プロブロガー
  • 作家
  • 無職、フリーランス、ノリで会社辞めた人
  • 転職経験者
  • 大学、会社辞めろ
  • 借金を公にしてかっこいい、起業しろ
  • 投資しろ、仮想通貨買え
  • ポルカ万歳
  • 批判するな、褒め合え、褒めてくれる人とだけ一緒にいろ

 

共通しているのは、

  • これまでの常識とは違ったことを言うこと
  • インフルエンサーにみな、同じ空気感があること
  • 二言目には、「老害の言うことは聞くな。時代は変わった」と言うこと

だ。

 

なんだか、お互い批判し合わないというのが暗黙のルールになっているような、批判するヤツは老害だ、そんなのは時代遅れだというルールが敷かれているような、いやーな空気感がある。

 

さて、そんなインフルエンサーたちの描く世界がこちら。↓

 

 

そう、インフルエンサーたちの描く世界を想像してみたら、地獄絵図が出来上がるわけだ。

みんなが会社に行かず、田舎で、パソコンに向かい、来る日も来る日もブログを書き続け、わずかな収入を仮想通貨投資に回し、借金してでも投資して、それをネタにまたブログを書く。

私生活費がなくなったら、ポルカで寄付を募り、それでも批判せずにお互いを褒め合い、自分の暮らし、生き方を肯定する。

 

そうしたらどうなっちゃうのかな?

コンビニが使えないとか、おいしいものが食べれないとかいうレベルじゃなくて、電気もつかないし、水も出なくなる・・・?

山へ芝刈りに、川へ洗濯に・・・? 

 

文字に起こすのも気味悪いぞ、これ。

 

インフルエンサーの言う一つ一つのことには、目新しく「確かに言われてみればそうかも!」と思うところがあるけれど、まとめてみると地獄絵図になるのである。

今の日本はクソだ、教育も最悪だし、老害ばっかりだし、一刻も早く海外に出るのが吉!みたいに言うインフルエンサーは多いけど、彼らの描く世界の方が、地獄なわけだ。

それとも、ほとんどの人が彼らの発信を真に受けないことを承知、計算の上で言っているとしたら・・・?そこからお金を巻き上げるつもりか・・・?彼ら自身が広告塔というかとなのか・・・?

わたしたちの行動一つ一つが人生を作り、一人ひとりが社会を作っているとしたら、彼らの言うことを真に受け、無批判にやっていたら、行きつく先は地獄だったのである。

 

インフルエンサーと言って、ひとくくりにするのは、思考を巡らす上では危険なのかもしれないけど、わたしがここで言いたいことは、自分の頭で考えようということである。

あの人がこう言っているからこうする、とか、SNSの世界をすべてだと思うのは、百害あって一利なしだ。

自分の頭で考えられない人たちに見えているのは、お花畑かもしれないけれど、その花はすぐに枯れ、お花畑は、地獄へと姿をかえるものなのかもしれない。

 

充実した毎日を暮らし、納得した人生を送るか、目先の自由さや目新しさを求め、地獄に行きつくかの決定権は、あなたの手の中にあるのだ。

限りある情報や知識から、自分の頭で考え、責任を持って行動すること。

これが大人に求められることなのだろうな、と改めて認識する今日この頃なのである。

車を持たない生活のメリット、デメリットのまとめ

わたしは、転職時に収入が下がることをきっかけに、自動車をもたない生活を始めたのだけれど、車を売却してから約1年が経ったこと、そして以下のツイート↓

への反響が思いのほか大きかったことから、車を持たない生活のメリットとデメリットをまとめたい。

実際、車なんて必要ないのでは?と思われている方も多いようで、参考にしていただければ幸いである。

ただ、地方や公共交通機関が利用しにくい地域などでは、車は必須になるのかもしれない。

わたしが住んでいる地域は、東京郊外、公共交通機関はかなり利用しやすいという条件があることを念頭に置いて、読んでいただきたい。

そもそもなぜ車を売却したか

車を売却した理由は、上のツイートの通り、維持費が高いというこの一点だ。

もちろん、お金が無限にあればもっていたいが、高いお金をかけて維持するほど大きなメリットがない。だからいっそのこと売ってしまえ!となったわけである。

かかる維持費などは、かなり前に投降した記事↓

www.zinseitanosiku.com

にまとめてあるが、こんな感じになる。

車検が2年区切りなので、とりあえず2年分のをまとめると、

  1. 税金:69,000円
  2. 保険:100,000円
  3. 車検:100,000円
  4. 駐車場:240,000(月10,000円で計算)
  5. 修理費:50,000円(年25,000円かかると見積)
  6. ガソリン:96,000円(月4,000円かかると見積)
  7. 高速道路:12,000円(年3回それぞれ20,000円かけて帰省等する、として計算)・・・

ということで、2年間で775,000円になる。2年間だとこの半分で387,500円である。

年間40万円近くのお金がかかるのは、なかなかの負担ですよね・・・

繰り返しになるけれど、わたしが車を持たない生活を始めた理由は、収入が下がる中、年間40万円近い維持費を払うほどのメリットを感じられなくなったからだ。

趣味で車を持っていたり、交通手段として必要だったりする人は多いと思うけど、そうでもない限り、なかなかの大きな出費だよな・・・と。

車を持たない生活のメリット

では、実際に車を持たなくなって感じているメリットを書いていきたい。

上の記事にも、車を持たない生活のメリット、デメリットを書いてあるけれど、時間が経って改めて気づいたところもあるので、もう少し詳しく書いていきたい。

 

①1年で車のために使う費用約40万円を節約

何といっても、これが一番大きい。

というか、このために車を持たない生活をしているのだから当然か。

車を持たない代わりに、緊急時にタクシーを使ったり、長距離移動の際に新幹線を使ったりする必要はあるけれど、金銭的には40万円を上回ることは絶対にないし、長距離移動が返って快適になったとも言える。

転職による収入4割割減の小さくない部分を、これが少なからず補填してくれている。

 

②車のために使う時間や心の負担を節約

車を持っていると、保険、車検、修理などが必要で、それにはお金だけでなく、時間も必要になってくる。

当たり前だが、これを節約できる。

お金のことは当たり前すぎるので、時間について。

車を持たない生活をしてみるとわかるが、車がないからこそ、時間を節約しよう、というモチベーションが生まれる。

これは、買い物などの用事を効率よくやったり、夫婦で分担したりというモチベになるということだ。

これまでは、車を使って家族一緒に!だったのが、おれが買い物行くから、その間にあなたは〇〇をよろしく!という感じになるのである。

さらには、時間だけでなく「めんどくささ」を感じる心の負担もある。

わたしは結構めんどくさがりで(でもブログはやるよ!)、

駐車場はどうする?

車洗わなきゃ

車の傷が、車検が・・・

というようなことを考えること自体に、結構なストレスというか、負担を感じてしまう。

こういった一切を節約できるのが、車を持たない生活である。

それがなくなったのも、大きなメリットだ。

 

③積極的に都心などに外出するようになった

車がないので、休日には「せっかくだから吉祥寺行くか!」(←例えば)という感じになった。

節約とは逆の流れじゃね?という指摘はごもっともだが、もちろん40万円はいかないでしょう。(盲信)

せっかくなので、住んでいる土地、地域の有名どころには行っておきたいというスタンスになったのである。

車で30分のイオン、よりも、電車を乗り継いでいく名所の方が楽しいし、子供の教育にもいいだろうと思うんですよね。

車を持たない生活のデメリット

デメリットは1つ、それは、緊急時の移動だ。

タクシー使えばいいじゃん?と思われるだろうが、タクシーは、すぐには来てくれないのが実際のところなんですね・・・

ホントにそう。

運が良くて20~30分後に来てほしい地点に到着。

それに雨が重なったら、運が良くても1時間後とか。

タクシー会社に電話してもつながらないのがほとんど。。。

使う予定があって予約しておける用事ならいいけれど、急な体調不良などの緊急時の移動にはなかなか苦労した。

あとタクシーって、病院などの用事が済むまで待ってくれるわけじゃないですよね?病院終わってからまた配車、となると、そこでもまた待たされるという負のスパイラルが。。。

近隣のシェアカーサービスに登録しておくなどの対策はあるけれど、それでカバーできるかどうかは結構未知数。。。

車を持たない生活を10カ月も続けているが、緊急の移動だけはタクシー神頼み状態なのである。(こればっかりは、どうもね)

まとめ

車を持たない生活を始めて10カ月、実際に感じているメリットとデメリットをまとめたが、これ以上はメリットもデメリットも出てこないだろう。(あるとすれば、子供の習い事への送迎くらい)

やはり、メリットにも書いたが、車を持たないことで年間40万円が浮くのは大きい。

車を持つことに、年間40万円を上回るものがあれば間違いなく持つが、わたしと家族ではそれを感じられなかったのである。

車どうしようか?と思われている方も多いだろうが、意外にも維持費がクッソ高いことはそこまで詳しく知られていないし、いざ数字にしてみるとその重みがわかるものだと思う。

実際に、車を持たない生活をしてみての体験談を余すところなく書いたので、車どうしようか?という方々に少しでも参考になれば幸いである。

 

※お金や節約についてもっと知りたいという方は、【お金の勉強法7選】初心者でも自然と身につく知識と学び方もぜひご覧くださいね!