目標に向かってがんばるのがすべてではない
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この記事のタイトルをどうするかについて、結構迷った。
上のように、「目標に向かってがんばるのがすべてではない」にするか、「転職を経験してわかったこと」にするかで迷ったのである。
転職を経験してわかったこととして、一番大きかったことが、「目標に向かってがんばるのがすべてではない」ということだったからだ。
ただ、これをより強調したいと思ったので、前者に落ち着いた。
さてわたしは、転職して9カ月が経ったのだけれど、転職当時もさることながら、最近特に強く感じている、「目標に向かってがんばるのがすべてではない」ということについて、この記事で書いていきたい。
以下、書いていくけれど、読んでいただくにあたっては、目標に向かってがんばることを全否定しているわけではないことをあらかじめご理解いただきたい。
目標に向かって必死すぎた前職でのこと
わたしの前職は国家公務員なのだけれど、仕事のすべては出世のためになっていた。
それにしか、どうしてもモチベーションが向かなくなってしまっていることに気づき、定年までそれをやり続けるのに疑問しか感じなくなったのが、転職を考えるきっかけだった。
今考えれば、特に転職前数年間は、出世のために必死になっていて、仕事も日常生活もまったく楽しくなかった。
というのは、昇任試験の面接で、日ごろ何に取り組んだか(何をがんばったのか)を話すものがあり、そのための仕事になっていたのだ。
そういうこともあって、休憩中や休みの日の過ごし方もどこか落ち着かず、好きだった読書も仕事関連のものばかりになっていた。
このころの目標は試験合格と、どういうルートで最終的なポジションまで行くか、ということになっていて、生活のほとんどすべてがそれに向いていたと言ってもいい。
当初は仕事とその他の生活を切り離せていたけれど、出世欲というか、不安感というか、そういう色々混ざったドロドロの塊は、すぐに日常生活全般を飲み込んだのだ。
繰り返しになるけど、転職前数年間のわたしは、仕事はそこまで忙しくないのに、心が疲れてボロボロになっていた。
実感はあまりないけれど、家族にもよくない影響を与えてたんじゃないかな。。。
晴れの日に、ただ散歩を楽しむように過ごす時間があってもいい
最近、一人で過ごす時間の中で、充実感を感じられる時間の過ごし方は、以下のようなときだということに気づいた。
- 朝起きて、外を眺めながら、何を考えることもなくパンとコーヒーを摂っているとき
- 風や音を感じながら、景色を楽しみつつロードバイクに乗るとき
- 新しい発見を求めてする読書
- 考えたことを、自由に、好きに発信するブログ、Twitter
わたしは、ずっとこういうことが好きなはずだったのに、、転職前数年間からずっと忘れ続けてきたことだったことに思い出したのだ。(個人的にはかなり大きな発見)
仕事が終わって、涼しい風に当たりながらの帰宅も頭は仕事のことばかり。
家族と一緒の夕食も早く終わらせて勉強。
仕事中も、自分の試験につながることしか考えられない。仲間との雑談すら、気持ち半分で聞くしかできない。
休日、家族と出かけても、ひとりで本を読んでいても「その時」をただ楽しむこともできない。
こうなってくると、病的だし、なんのために生きているのかわからないですよね・・・
でも転職前数年間のわたしは本当にこんな状態だった。
体のあるところに心がないような感じだったのだ。
唯一の救いは、この状態がヤバイということに気づくことができたこと、そして、転職を許してくれる家族がいたことですね。
何の目標もなく、ただそこにある今を、ただ楽しむ。
こういう時間の過ごし方は、晴れの日に、ただ散歩を楽しむことに似ている。
これって、何にも縛られず、究極に自由で一番贅沢な時間の過ごし方ではないでしょうか?
わたしはそう思います。
もちろん、目標を立てて、それに向かって必要なことを明確にして一つ一つクリアしていく、そして、それにエネルギーを向け、達成していくこと自体はすばらしいことだし、やっていて楽しく、魅力的なのは間違いない。
ただ、そればかりではなく、人生には、ただそこにある今を、ただ楽しむという時期や時間があってもいいということを信じたい。
要は、バランス感覚。
目標ばかりになると、上に書いたようなドロドロの塊がすべてを飲み込んでバランスを崩す。今を楽しむばかりでは、本当の意味での充実感を味わえない。
今、仕事、家庭、趣味のすべてがちょうどいいバランスの中にあって、転職前とはくらべものにならないほど楽しく、充実した日々を過ごせている。
何をしているときも、心が温かい感じがあるのだ。(満足しては成長はない、というけれど、現状に満足している感覚とは違いますよ!)
一度きりの人生、温かい気持ちで、充実した日々を過ごしたいものである。