めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

ヒヤヒヤし過ぎて大切なものをなくした話と、においは無言の暴力である、ということについて

スポンサーリンク

明けましておめでとうございます。わたしは、転職のことを書くことが多いんですが、年明け早々転職のこと、というのも、読んでいて楽しいかどうか怪しいので、今日は、年末にあった出来事を記事にすることにしました。

 

基本的には、わたしの失敗についての記事なので、年始で気が緩みがちなときにこそ気を付けていただければいいな、という気持ちで書きました(おれ、えらい!)。

 

では、どうぞご覧ください。

 

f:id:mennou:20171231142226j:plain

 

 

 

 

 

わたしは先日、3歳になる息子を連れて電車で都心へ向かった。どこか確たる行きたいところがあるわけではなくて、ぶらっと二人で、だ。

 

本当なら家族四人で出かけたかったが、1歳の娘が風邪を引いてしまい、二人で出ることになった。

 

わたしたち二人にとっては、どこに行く、ということより、どうやって行くか、ということの方がはるかに重要なことだった。それは、息子が大の電車好きだからだ。

 

サンタにお願いするクリスマスプレゼントはガチャステ(プラレールの駅の親玉)、他の親戚にもうらクリスマスプレゼントはすべてプラレールの車両、毎晩読む本は電車の図鑑か路線図・・・

 

こういった具合だ。

 

だから、電車に乗る、ということにこそ意味があった。もちろん電車好きの息子の所望は、先頭車である。運転席を見ながら電車の先頭で移り変わる風景を楽しみたいらしい。もちろん抱っこをしてもらわないと3歳の息子にはかなわない夢である。わたしの抱っこは息子にとっては電車についてくるもの、だった。

 

わたしは、息子を抱っこしなければいけないことを予期していたので、荷物は最小限のリュックとカメラの一脚、という程度に抑えていた。電車に乗り込むと、荷物を足元に置き、一脚はドア付近の車両の隅の方に置いた。

 

電車での移動予定時間は乗り換えも含めて1時間強だったので、腕と腰が死ぬかも・・・と思いながらも、新しい仕事が始まったら息子といられる時間が限られるので、息子の所望に応えて抱っこをしながら1時間の移動時間を過ごすことにした。

 

3歳なのに20kg弱の体重を誇る、巨大な息子を抱っこしながら、先頭車の運転席後ろに陣取っていたところ、電車が駅に止まって客が乗り降りする際に異臭に気づいた。

 

鼻をつんと突くようなにおいだ。そう、トイレのそれだ。

 

この電車の、しかも、先頭車にトイレなんかないはずだ。息子やわたしでもないはずだ・・・と思いながら横を見ると、その「においの基」となっているであろう男性がいた。しかも二人、わたしと息子の左右に、だ。オセロでいえば、完全に我々も黒になる状況だ。しかも、彼らはすぐ次の駅で降りる、といった風ではなく、運転席側についている手すりに肘を預け、しっかりと前を見据えて、わたしの息子のように先頭車を楽しむ気満々な様子であった。年齢は30大後半と50代の男性だ。髪の毛は二人とも肩まであり、パリパリのテカテカ、という感じだ。髪の毛に使う形容詞は、多くの場合、ツンツンとかサラサラであろうが、この場合は違った。

 

もしかしたら、彼らがにおいの元ではないかもしれないが、その異臭がしたタイミング、風貌、においの方向(後ろではなく、左右からだ)、野生の勘・・・これらの状況証拠がこちらにはある。もし、裁判になっても勝訴できると思われるので、そういうことにして記事を書き進めることにする。

 

さて、長いこと電車に居座るつもりの彼らの間でわたしは、内心、ヒヤヒヤしていた。においがきついという生理的な拒否感とか、なんて運が悪いんだという自己嫌悪感や彼らに対する怒りなどではない。息子がいらんこと言わないか、とヒヤヒヤしていたのだ。

 

そう、息子には前科がある。

 

それは1年以上前、レストランでのトイレでの出来事だ。そのレストランで息子はおしっこしたい、と訴えた。漏らす前に、と小走りでトイレに駆け込んだ。そのついでにわたしもそこで用を足すことにした。

 

すると、それまでカギのかかった大便器個室から、あの音がしたのだ。大人はつつましく隠そうとする音。ブス、ブブっという音だった。

 

成人していれば、いや、物心ついていれば、それは触れてはいけないものであることを知っているはずだ。教えなくてもわかるものだと思う。でも、息子にとって、それはあまりにも大人の世界のことだったのである。幼い子供にそれを期待してはいけない。

 

わたしは、その大便器個室からした音を気にも留めなかったが、幼い息子のアンテナには見事に引っ掛かった。電波の収集範囲は狭いくせに、周波数によってはかなり拾うらしい。

 

息子は「ウンチが汚いものだ、おならは下品なものだ」ということは知っていたようで、その音がして反射的に「ぶーだってぇ、どこ?どこ?」と明らかにその音の種類を認識し、指摘した上で、その主を探そうとしている。

 

わたしはただ、どこだろうねぇ、とごまかすしかなかった。

 

わたしの小便も途中で、音の主が出てこないか、とヒヤヒヤしていたのである。結局、音の主が出てくることはなかったが、急いで小便を終わらせてトイレを後にした。

 

息子の前科、とはこのような出来事だった。

 

わたしは、この時以上のヒヤヒヤ感を感じながら、息子を抱っこしながら先頭車運転席のうしろに佇んでいた。頼むからいらんこと言わないでくれ。。。願いが息子に届いたのか、息子も大人のルールがわかっていたのか、異臭に気づかなかっただけなのか、息子はそこから見える運転席のかっこよさや、風景の移り変わりを楽しんでいただけだった。

 

少し胸をなでおろしてしばらくいると、さらなる試練が訪れた。

 

三人目が現れたのである。三人目が電車の先頭車、運転席の後ろに集合する。こんなことってあるだろうか。100年に一度、というやつではなかろうか。

 

これ以上の衝撃があろうか。2017年一番の衝撃かもしれない。少なくとも「声に出せない部門」というのがあったら断トツであろう。

 

もうだめだ、息子がいらんことを言うのも、時間の問題だ・・・

 

そう思っていたが、不思議なことに息子はわたしが危惧していたことを口にすることもなく、降りたい駅まで口を開くことはなかったのだ。降りる予定の駅に着くと、荷物をもって急いで外に出た。

 

わが子よ、大きくなったな。そんな風に思っていると、トイレに行きたい、と言い始めた。

 

急いでトイレに行き、子供用の小便器の前に荷物を置いたときに気が付いた。

 

一脚がない。。。なんで?どこだ?・・・えーと、あ。。。あの電車の車両の中だ。。。気に入ってたのに。。。

 

わたしは、息子がいらんこと言わないか、とヒヤヒヤし過ぎて一脚のことが頭になかったのだ。

 

においは、自分が気に入らなくても、発している人に対して失礼に当たる場合があるので、指摘できない、という意味で

 

においは無言の暴力である

 

と言われることがあるのを聞いたことがあると思う。わたしもそう思ってきた。

 

でも、この時ほどそれを身に染みて感じたことはなかった。においは、わたしからお気に入りの一脚を奪っていった。そしてまだ見つかっていない。

 

①大切なものは、どんなことがあっても忘れないように身に着けておいた方がよい

②においは無言の暴力である

③体重20kgは、1時間抱っこするには重い

 

これがこの経験から学んだものであった。

 

 

 

 

2018年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

めんおうブログのコンセプトは、国家公務員を30代で退職し、飲食業界に就職した家族持ちの男性が経験したこと、感じたこと、これから挑戦することなどについてつづるものです。

 

これから更新頻度は落ちるかもしれませんが、日々感じたことやみなさんに少しでも役に立てることをつづっていければな、と思っております。

 

わたしにとって、みなさんにとって、2018年がいい年になりますように祈っております。

 

ではまた!