めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

やってみようの精神と自信をつけることの大切さとプロセスは、大人も子供も変わらない。(転職後11日目)

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今日は、午前中に時間があったので、子供と自転車の練習をしました。その時に感じたことについて書きます。

 

本日の業務内容

【1月11日】

0815起床

1445出勤予定

感じたこと

今日は、午前中、3歳の息子と1歳の娘を連れて自転車の練習をしに行った。わたし住んでいる地域は、雲一つない晴れで、太陽も温かく、気持ちよかった。

 

 

 

 

 

息子に自転車を与えたのは、2歳の誕生日であった。わたしは、転職前には省の官舎に住んでいた。官舎地区には、かなり小さな子(幼稚園前とか)でも自転車に乗っている子が多くいた。2歳、というと、自転車は少し早い気もしたが、そのような環境にいたので与えることにしたのである。しかし、うちの子にとって、2歳の自転車は早かったようである。2歳のうちから練習してみたが、楽しそうに練習しないのである。何かを身につける、知識や技能を習得する、ということは、やる人がそれを好きにならないとできないものであると思う。それが子供の場合は特に当てはまる。だから、2歳での自転車習得をあきらめることにした(親が言って練習させる、ということをしなかった)。

 

このように、2歳での自転車習得をあきらめた息子も、現在3歳の終わりに差し掛かっている。まだまだ自転車には気が向きそうもないなぁ、と思っていたところ、息子にも転機が訪れた。息子に買った自転車と全く同じ自転車をこいでいる子を見かけたのである。やはり、3歳の終わりというと、物事もほとんど理解できるし、それなりのプライドもあるのであろう。

 

 

 

「パパとチャリ練したい」という運びになったのである。

 

 

 

息子がパパとママを使い分けているのが面白い。チャリ練(自転車の練習のことをめんおう家では、このように呼称)、プラレールの電池交換、爪切りなど、細かい技術を要することはパパ、歯磨き、風呂、夜隣に寝る人など肌のふれあいのあることはママ、といった具合である。何かこだわりや生物学的習性があるんだろうか。

 

 

 

 

 

さて、息子のチャリ練である。

 

 

 

チャリ練の道のりは往復3kmくらいであった(今思えば長すぎた)。思ったよりもこぐのが遅くて、2時間かかってしまった。。。ほとんど初めてこぐ、という感覚であったのであろう、息子は、100m以上離れた位置からこちらに向かってくる自転車を怖がり、隣を通る自動車を怖がり、傾いているかわからないくらいの道の傾きを坂だと言って怖がった。怖がる、ということは、想像力が豊かで、危機察知能力が備わってきている、ということであり、喜ばしい。一つずつ、怖がることではない、ということをしっかりと理解させた。

 

その中で、わたし自身にとっても、新しく発見があったのは、点字ブロックの通過である。

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息子が通過できない、と言い出した点字ブロックは、写真のとおりである。坂道などが入り組んでいるわけでも、いくつものブロックが幅広く設置されているわけでもない。初めて何かをする、ということがこうも難しいものなのか、と感動すらした。

 

こういった状況の時に、「できないわけないじゃん、やりなさい」と頭ごなしに言いたくもなるし、言うのは簡単だが、わたしは我慢するようにしている。挑戦することや、試しにやってみること、の楽しさや大切さを子供自身に感じ取ってほしいからである。頭ごなしに言ってやらせた場合、挑戦した、というよりは、親に怒られたから言われた通りやった、ということにしかならない。楽しくもないし、怒られた記憶しか残らないのではないだろうか。

 

 

 

わたしは、点字ブロックを通過しようと挑戦もせずに、できない、と言う息子と以下のような会話をして挑戦、通過させた。

 

 

 

点字ブロックの前で自転車を止めて)

 

めんおう:このがたがた道、自転車で通ったことあるの?

 

息子  :ないよ

 

めんおう:じゃあ、何で、できないってわかるの?

 

息子  :わからないよ

 

めんおう:やってみてできなかったら、押してあげるからやってみよう。やってみなきゃ、できるかどうかわからないよ!

 

息子  :やってみよう

 

(息子、一人で点字ブロックを通過)

 

めんおう:できたじゃん、やってみないとできるかどうか、わからないね

 

息子  :できたね。次もできるかなぁ

 

通過後は、もう次のことに気がいっている。一回通過したことで、点字ブロックの通過には自信がついたようであった。

 

 

 

自転車の練習は、自転車に乗る技術を習得させるのが第一であるが、それ以外にも大切なことがある。それが、やってみよう精神と自信をつけさせる、ということ自体である。どのような練習をしたとしても、乗れるようにはなるであろう。しかし、挑戦することの楽しさや大切さをしっかり理解させるように接することで、自転車に乗る技術以外にも、挑戦することについて学んでくれるはずであると、わたしは信じているし、そのように子供とは接するようにしている。今後、子供との時間がなかなかとれない忙しい仕事が待っているだろうと思われるので、一緒にいれる時間に、多くのことを自ら学び取ってほしいと思っている。

 

 

 

 

 

 

翻って、大人である自分はどうであろうか。やってみようの精神で、トライしているだろうか。何でも挑戦する前から、できない、と判断していないであろうか。大人は、子供に比べて何に関しても経験値が高いものである。それゆえ、過去の経験のみからできるかどうかを判断しがちではないだろうか?であったとしたら、とてももったいないことである。

 

人生100年。何を始めるにも遅すぎる、ということはない。やってみようの精神で、挑戦して自信をつけていきたい。失敗しても、そこから学べばよい。成功者に子供の心を持った人が多い、と言われるが、こういうところにその所以があるのかな、と思った。