めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

店に省時代の同期が来て、複雑な気持ちになった。(転職後12日目)

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自分が仕事に慣れてきたこともあって、今日は、特別忙しいわけでもなく、一日が終わるものと思っていましたが、一日の最後に、わたしがこれまでふたをしてきた感情が動く出来事があったので、記録しておきたいと思います。

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本日の業務内容

【1月12日】

0800起床

1040~1145出勤

1200~1500ホール

1500~1530休憩

1530~1900ホール

1900~1930休憩

1930~2300ホール、サブ

2315~0030帰宅

0330就寝

感じたこと

今日は、いつもと変わらない一日の仕事をしていた。ホールとして、お客様をお席に誘導したり、注文を伺ったり。また、サブ(皿洗いや、麺上げ等の補佐)として幅広い雑用をこなしたりしていた。新しい仕事を始めて10日以上が経ち、仕事の内容や職場の環境にも慣れてきた。

 

 

 

外はすっかり暗く、ビールやサワーを注文されるお客様が多く来店されるようになり、店内はガヤガヤとした雰囲気になっていた。わたしは、「今日はホールでの仕事で少しミスがあったから、それを反省しないとなぁ」と思いながら、シフト終了の時間を心の中で待っていた。

 

 

 

シフト終了を待つ時間帯に、わたしがホールをしていると、店の外でこちらに向かってスマホを構えている人が複数いるのが見えた。ホールは、お客様が入店した際に、すぐに対応できるよう、常に店の出入り口側に注意を向けるようにしつけられている。これまで、店の出入り口の窓ガラスに貼ってある広告を見る人はいても、スマホを向けるグループは見たことがなかった。何か、撮るものがあるのかな、と思いながらそのグループを見ると、スマホを構えながらこちらを見て笑っているのが確認できた。なぜ笑っているのかわからなかった。店内や店の出入り口に普段と変わったところはない。

 

そのグループが、スマホを店に向けながら笑っている理由を理解するのには、数秒を要した。笑いながらスマホを向けられる、という経験はこれまでしたことがないし、やられていい気持ちのすることではない。何か、店に問題があってされているなら、その問題は何なのか、撮影対象やその理由を外に出て確認したり、店長に笑いながらスマホで店内を撮影しているグループにがいることを報告したりすることが必要になるかもしれない。だから、わたしは、彼らがこちらにスマホを向けている理由を探るため、そのグループのことをよく見ようと、少し近づいた。そこですぐに気づいたのである。

 

 

 

 

 

その5人は、わたしの省時代の同期であった。省時代に仲の良かった同期5人が店ではなく、笑いながら、わたしにスマホを向けていたのである。わたしがこの店で働いていることについては、以前親しい友人には話していたので、そこから聞きつけたのであろう。

 

 

 

 

 

同期が笑いながらスマホを向けている、ということに気づいた瞬間、一言では言い表せられない複雑な気持ちになった。今、思い出しながら頭の中を整理している、という状況である。

 

 

 

 

 

その瞬間は、あまりにも多くの気持ち、感情が湧き上がってきていて若干混乱していた、といってもいいかもしれない。仲の良かった同期が来てくれてうれしい、という感じでなかったのは確かである。どちらかというと、見られたくない、という気持ちであった。

 

パンダになったような気分だった。珍しいもの、面白いもの、からかっていいもの、そういう存在になったような気分だったんだと思う。

 

それも無理はない。みな、省庁の幹部である。わたしも元幹部である。まだまだ上に行く可能性のあるコースの人間たちだ。わたしは、自らの意思でその可能性を捨てて、ラーメン店に勤めているのだ。彼らの目にわたしがパンダに映ってもムリはない。わたしだって、逆の立場であったら同じようにしていたかもしれない。

 

 

 

彼らは、しばらくすると、入店してラーメンを注文した。わたしがホールをしていたのでわたしが対応した。その時の感情は、わたし自身、想像もしなかった感情であった。「意地でもお客様として接客し切ってやる」というものであった。省時代の同期で、仲の良かった仲間ではあったが、ここでお客様として接客しなければ、彼らに負けたことになる、そう思ったのである。もちろん、わたしと彼らがワイワイやって(わたしの意思に反して)、周りのお客様に迷惑になってはいけない、という気持ちもあったが、それよりもずっと強く、一番強く感じていたのは「彼らに負けたくない」という気持ちであった。

 

 

わたしは、省での出世の可能性を捨てて、自分の価値観を信じて転職したこと自体、生まれて初めて自分で決めた勇気のある決断だし、とてもいい経験を積むことができたと思っている。

 

ただ、その「思っている」ということには、信じるしかないという部分も多く含まれているのである。むしろ、ただ省庁での出世街道を歩むことに疲れてドロップアウトしただけなんじゃないか?これから待っているであろう出世のための試練から逃げるための言い訳をしているだけなんじゃないか?と自分自身を疑ってしまうことも、ないわけではない。

 

「ふたをしている」というような感覚なのである。目をつむって、自分がした決断の正しさを信じるしかないのである。

 

自分がした「転職」という選択が正しかった、とは思っているが、その「正しさ」については、信じるしかない部分も多く含まれている。ということである。いくら考えたところで、その正しさが証明されるわけではないので、ふたをしているのである。強く信じる、ということで正しいことにしているのである。

 

 

 

同期は、ラーメンを食べながら、いろいろな発言をしていた。彼らは程よく酔っている様子であり、少々気が大きくなっていたようではあったが、

 

お前、宝くじあたった?(収入が下がっても大丈夫?という意味だと思う)

勇気あるなぁ。

新入社員教育あったの?(1月中旬にあるので、それを伝えると、普通働き始める前に受けるもんでしょ、ダメじゃん。と言われた。)

何時まで働くの?

下っ端にもまかない出るの?

・・・

 

などと言われた。

 

 

 

正直、わたしにはきつい言葉であった。でも、お客様として接客し切る、と決めていたわたしは聞かれたことに冗談で返すのではなく、事実を周りのお客様に迷惑にならない程度に、ありのまま話した。上のような同期の発言は、わたしだけでなく、一緒に店で働いている仲間を侮辱されたような気がした。転職という決断を応援し、今の仕事を心配しながらも支えてくれている家族をも馬鹿にされているような気がした。とても悔しかった。でも、その悔しさを表に出したら負けだと思った。わたしは、自分の決断が正しいと思っているのであるから、悔しがるのは、その正当性を否定することになってしまう、と思ったのである。

 

 

 

わたしが、彼らに構わずに他のお客様と同じように接客していると、わたしへの興味を失ったのか、あまりこちらに声を掛けなくなってきて、グループ内での会話が始まった。その5人の中でも一番仲の良かった同期(彼は、同期の中でも一番仲がいいし、信頼関係もある)は、わたしのいつもと違う雰囲気を感じ取ったのか、わたしが彼らのテーブル付近を通りかかると、ラーメンうまいね、と言ってくれたのが印象的であった。食べ終わったらすぐに帰るようにグループを促したのも彼であった。

 

 

 

ラーメンを食べ終わると、彼がもう帰ろうか、と言って長居することなく帰っていった。わたしは、別のお客様を接客していたので、その時彼らと言葉を交わすこともなかった。

 

 

 

彼らが帰り、わたしの接客がひと段落した後で、店長にお騒がせしたことを詫びた。いくらわたしが他のお客様と同じように接客した、といっても、わたしと彼らが知り合いであることは、誰が見ても明らかなくらい彼らは、わたしのことでワイワイしていたのである。わたしがそのことを詫びると、店長は「昔の同僚が店に来てくれるなんて、純粋にうらやましいよ」と言ってくれた。このおかげで、わたしの張りつめていた気持ちが緩んだ。本当に懐の広い店長である。

 

 

 

それでもわたしは、残りの仕事の時間、帰りの電車の中では、ずっとこの時の記憶を巻き戻していた。無意識のうちに感情、気持ちを整理していたのだと思う。

 

 

 

わたしは、家に帰ってから、彼らにラインした。このラインの内容も、本心ではなかった。「今日は、店に来てくれてありがとう!これからも、売り上げ貢献のために、月に一回来いよ!」という内容である。もうおれはラーメン店で生きていく、こっちで本気で仕事をしているんだ、という宣言であった。

 

 

 

人生や仕事の価値は、そこから生まれる収入やその地位など、「与えられるもの」では絶対に計れない。自分で生み出したので価値が計られる。しかも、その価値を感じ、判断するのは最終的にはその人自身である。だから誰かと比較したときの勝ち負けなどない。これは真実だと信じている。負けがあるとしたら、自分の価値観を曲げたときである。すなわち自分自身への敗北である。

 

わたしは、転職を決めたときの自分の心の奥底にある価値観を曲げることは絶対にしたくない。この価値観を曲げる、というのは、やっぱり転職しなきゃよかった、省に勤めて頑張って出世すればよかった、と思ってしまうことである。人生を通して、食(ラーメン)を通してできる限り広い地域のたくさんの人の幸せを作っていく、ということを貫き通したい。

 

自分の人生のため、わたしの決断を応援し支えてくれている家族のため、わたし背中を見て大きくなる息子と娘のため、今の店で一緒に働く仲間のため、負けるわけにはいかないのである。

 

わたしは、同期の来店をうれしく思わなかったが、これまでふたをしてきた気持ちをもう一度見つめ直すきっかけをつくってくれた、と考えればありがたい出来事であったのかもしれない。わたしの決断が正しいかどうかは、今の段階ではわからない。正しかったかどうかを決めるのは、今後の人生である。決断を、これからの人生で正解にしていくのである。

 

 

 

 

 

おれは絶対に負けない。今日は、この気持ちを再確認することができた。