めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

DODAの看板を見て、人生の意義を考えること自体に意味について考えた。(転職後27日目)

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出勤途中の電車の乗り換えの際に、看板を見て考えたことについて記録したいと思います。

見た看板

こんな看板を見た。↓

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見たことのある方も多いと思う。都心の駅にはたくさんあるし、電車の中吊りや、CMにも似たようなものが流れていたような気がする。

 

 

 

この看板自体、とてもすっきり、さわやか(わたしにも、こういうさわやかさがほしいがムリ)で、看板として伝えたいことがとても分かりやすく伝わってくるので、すばらしいデザインだと思う。もう家に持って帰って貼りたいくらい(これはさすがにウソ)。

 

 

 

まず、看板を一目見た瞬間に、「条件は、今よりいい会社。以上。」にやられる。これを見ると、間違いなく、今の会社のよくないところが頭に浮かぶだろう。今よりいい会社かぁ、今の会社はもう10年勤めているけど毎日同じことの繰り返しなんだよなぁ、というような気がしてくる。そして、どんな会社があるか調べてみようか、というような気すら起こる。

 

そして、「給料とか残業とかそういう理由じゃダメですか。」で完全にノックアウトを食らう。ダメですか?という聞き方をされると、ダメだ、とはなかなか言えないものである。同時に、転職理由が給料が高い低いとか残業があるないとか、そういう理由でもいいんだな、と転職を迷っている自分を肯定することができる。

 

 

 

今の会社の良くないところを思い浮かべさせ、他の会社を調べさせつつ、転職理由は何でもいいんだよ、と俳優、坂口健太郎さんに言われれば、実際に転職するまではいかなくても、大抵の人は転職もありかも、くらいの考えに至るだろう。

考えたこと

さて、この看板はすばらしい、と一目見て思ったのであるが、看板自体のすばらしさに心を奪われつつも、人生の意義を考えること自体の意味についても考えた。何のために生きているんですか?とか、人生を通して何を成し遂げたいですか?というようなことについて考える意味を、である。それは、わたしが人生の意義を考えることにかなりの時間と労力をかけた時期があったからである。本を読み、ネットで検索し、自分の頭で考え、人と話したこともあった。ブログの記事にしたこともあった。

 

わたしは、これまでのいくつかの記事で書いてきたように、人を幸せにすることを通して自分が幸せになるため、そして、それを最大化するために生きる、というふうに考えている。これは、転職を検討する際に、転職するかどうかの前に、何のために生きるか、を考えた結果である。こういうことを考えること自体に意味があるか、ということについて考えたのである。給料とか残業とかそういう理由じゃダメですか。と聞かれたら、いや、待てよ、人生とかについては考えないの?と思わないわけにはいかなかった。

 

 

 

結論から言うと、自己満のために考えたことだし、人に強要するものではないから考えること自体に意味がない場合もあるだろう。ということである。

 

 

 

わたしの場合は、人生の意義を自分なりに考えて、答えを出しておいた方がそれぞれ大きな選択(わたしの場合は転職)をするときに間違いのない、ぶれない決心ができる、と思ったからこそ考えて、自分なりの答えも出した。おそらく、給料や残業よりもやりがい、達成感といったものに重きを置いているからだろう。

 

わたしは、人生の意義を「人を幸せにすることを通して自分が幸せになるため、そして、それを最大化するために生きる」としたわけであるが、自分の気持ち(思い込み、考え方)次第で、どのような職業にも当てはめることができるものであることも事実だ。つまり、やりがいや達成感、をこじつけで転職の理由にして自分の考え方を正当化できるわけである。結局は自分が好きなことか、ということに単純化したり、感覚的なものにしたりできるのかもしれない。わたしは、転職の際の考え方の枠組みや軸がほしくて人生の意義について考え、自分なりの答えを出した。

 

転職は、給料とか残業とかそういう理由でもいいし、やりがいとか達成感とかそういう理由でもいい。むしろ、仕事以外のところにやりがいを見つけて、仕事に費やす時間を最小限にしたい、という理由だっていいと思う。仕事でも、仕事以外でもいいから「自分の好きなもの」が何なのかをはっきりさせて、自己満のために歩むのが人生だと思うから。やりたいこと、楽しいことが仕事以外だったとしても、心がおどればそれでいいのだ。

 

条件は、今より心おどる毎日を送れる会社。以上。