めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

森友文書書き換え問題について、元省庁幹部職員が職場の実情などを踏まえて語ってみる。

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森友文書疑惑に関する報道を見て、ついに出ちゃったか、もう嫌だなこれ関係のニュース、という暗澹たる気持ちになった。

 

森友、森友と聞いてもう嫌気がさしている方が多いと思うが、政治と行政の在り方や政治家と官僚の関係を考えさせられる、とてもいい機会だとも思う。政治などに興味のある方にとって、森友文書疑惑について理解しようとするとき、現場(職場)の実情がどうなのかという知識があれば、その理解が深まると思うので、現場を知っているわたしが、その実情に照らしながら語ってみたい。

森友文書書き換え問題とは。

森友文書書き換え問題の前に、そもそも森友学園問題について触れておきたい。

 

森友学園問題は、森友学園に対して、国有地が相場の約5分の1の金額で売却された契約を問題とするものである。相場よりも断然安い金額で契約がなされた経緯が謎というより、疑惑に包まれているのである。森友学園以外は、同地域の土地購入のために、それ以上の金額を求められているからである。

 

安倍氏が、総理大臣に就任してから急進展した事業であることや、首相の奥様の昭恵夫人が当該小学校の名誉校長を務めていたことから、何らかの指示や影響力などが働いたのではないか、という疑惑を生んでいるものである。

 

さて、文書書き換え問題である。森友学園問題が紛糾する中で朝日新聞が報じた。これは、森友学園と国(近畿財務局)の間で国有地の売却契約が結ばれた当時の文書が、森友学園問題発覚後に書き換えられた形跡がある、というものである。

 

書き換えられた形跡は、本日の報道によれば14件あったそうだ。森友学園との契約が特例的であることを示す部分や、当時理財局長(財務本省で国有財産等の管理を主要業務とする職)であった、佐川元国税局長の国会での発言とのずれがあった部分、さらには複数の国会議員の名前などが書き換えられたという。

 

 

 

最近は、防衛省の日報問題、厚生労働省の調査結果改ざん疑惑、財務省森友学園問題など、一国民として首をひねらざるを得ない問題ばかりだったが、このような中、文書書き換え問題である。

 

安倍首相は、「国民から厳しい目が向けられている」と言っていたが、それどころか、「諦め」や「暗澹たる気持ち」になっているのは、わたしだけではないだろう。

文書疑惑問題なんて、実際、起こり得るの?

ここからは、わたしが省庁の幹部職員としての経験を踏まえて書いていきたい。

 

決裁後の文書の書き換えが起こり得るか、と言えば、十分起こり得る、と考えられる。「国の組織は紙で動く」と揶揄されるように(わたしのいた省もまさににそうだった)、事あるごとに文書を作成する。わたしも作成してきた。

 

文書には様々な種類があるが、わたしの職場でも決裁後、合議(決裁権者以下の責任者の了承を得ること)後文書の書き換えは頻繁に行われていた。それには、メモ的なものから、外に出る可能性のあるものまであった。

 

決裁後の文書の書き換え自体には、省庁幹部の感覚で言うと、「あまり抵抗のないもの」と言えるだろう。

 

なぜ森友文書書き換え問題が起こったのか。

わたしのいた職場では、決裁時以降、事業開始時までの間に何らかの状況の変化(決済権者等の上司の心変わりも含む。←いや、これマジで結構あります)があった場合、それに合うように書き換えが行われていた。

 

本来であれば、決裁後の文書を書き換える場合は、再仰指、といって、もう一度文書を作成したり、定められた手続きに沿って修正しなければならないが、「そんな余裕はまったくない」し、「まじめにやってたら損をする空気」がある。みんな書き換えてるんだから、やったって大丈夫ということだ。

 

ただ、今回の森友文書書き換え問題は、上のわたしの経験とは少し違った流れがある。ただ、その底に「書き換えれば済む」というマインドがあったのは、間違いないだろう。

 

今回の問題に関する報道によれば、書き換えの指示が佐川元長官からあった、ということなので、安倍総理大臣や麻生財務大臣からの指示がなかった、と仮定する。この前提に立てば、自己保身と組織保身(自己保身の積み重ねが組織保身になるのかもしれないが)がすべての原因である。

 

以前、防衛省の日報問題の際にも「日報は破棄した」という「でっち上げられた事実」に合わせるように、あるものをないものとするように動いていたそうだ。

 

省庁の業務はすべて縦割りで、各事業は、大きく担当部署に割り振られ、部署内では担当者に割り振られる。今回は、佐川元長官から書き換えに関する指示があったということだが、本事件を闇に葬ることができれば、元長官(東大卒後、輝かしい省内での経歴)自らもお咎めなしになり、組織も安泰、事業担当者も安泰というわけである。文書から削除されたという国会議員も安泰、国会議員に迷惑をかけずに済んだ組織も安泰ということである。

 

 

 

こういった文書の書き換えがよろしくないことだ、というのはだれもがわかっている。今回の事件では、当該組織の長が指示しているので、問題が大きくなる前に防ぐとしたら、内部告発か、早期の報道機関へのリークしかないだろう。

 

元長官から事業の担当者に直接指示があったとは考えづらく、その中間管理職、関係部署の幹部やこの空気を知っていた職員は何人もいたはずである。担当部署の職員が自殺し、長官が辞任するという最悪の結末にたどり着く前に、誰かが勇気ある一歩を踏み出すことができれば・・・とは思う。思っているだけでは無責任に過ぎるのはわかっているが、そう思わざるを得ない。

これからどうすべきか、について。

文書書き換え問題は、国会で森友学園問題を解明する中で発覚したものであり、「国民全体に国がウソをついた」と言っても過言ではない。

 

国民の信頼に基づいて仕事をしていること、国会が神聖な場所であること、ウソの答弁が国民にウソをついていることになること、そして、何より、ウソなど突き通せないことがわからなくなっていたのではないだろうか。

 

これから、わたしたち国民にウソをつくことなく、いつ何があって、何が原因で、何が起こったのか、ということを解明し、わかりやすく説明してもらいたい。これのみが、政治と行政の信頼を取り戻す方策なのだろうと思う。

 

内閣総辞職じゃ!と青筋を立てた叫びが聞こえてくるが、辞めれば済むわけではない。それは、坊主にするのでこれはなかったことに・・・と言うのとかわらない。内閣総辞職するのは、本事件を解明し、しっかりと説明責任を果たしてからにしてもらいたい。

 

 

 

本事件があり、国家機関に勤める公務員のみなさんは、ムチ打たれたことだろうと思う。ただ、その痛みは時間が経てば忘れられる。それよりも、自らの責任や国民からの信頼の上にあるという自覚もつよう、各職員が初心に帰る必要があるだろう。一国民として、元職員として、これ以上信頼を裏切らないでもらいたい。