めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

退職について上司に告白したときのことを思い出して気分が重くなった。

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今日は3月の最終日。

 

 

 

ふと窓の外を見ると、明るい日差しの中で桜の花びらが風に吹かれて、道路上に渦を巻くように舞っている。

 

年度が終わり、また新たな年度を迎える。大人は異動、子供は卒業や入学など、それぞれが古い自分に別れを告げ、新しい自分に出会う季節でもある。

 

この季節が来るといつも思うのは、一年が本当にあっと言う間に過ぎる、ということだ。特に大学を卒業して、社会人になってからの時の流れの速さには、なかなか気持ちが追い付かない。

 

大人になると、若い頃に比べ、体内時計が遅くなるから相対的に時の流れを速く感じるらしいが、知ったところでどうしようもない。そんなことを思いつつ、道路上で渦を巻く桜の花びらに心を奪われる。

 

この季節には、いつも桜を見ながら、去年の今頃何してたっけ、という振り返りを始めてしまう。きっと、桜が去年のこの時期の記憶と今を結びつけるのだろう。

 

 

 

 

 

さて、去年の今頃の話である。

 

これまで記事にしたことはなかったが、去年のことをせっかく思い出したので、嘘偽りなく去年の今頃のことを書いておきたい。自分の成長や変化の記録とするためにも。

 

 

 

わたしは、転職準備を2月ごろから進めていた(省内で最終的な承認が正式に下りたのが去年の12月だったので、1年弱もの期間、転職のための手続きをしていたことになる)。その中で、初めて上司に告白したのが3月下旬であった。

 

わたしにとって転職は、自分の人生を求める方向に変えていくことだった。

 

そんなわたしは、転職に伴い、省を退職するためにあまり気の進まないことをした。上司に対して嘘を突き通したのである。仕事のことでいろいろな相談に乗ってもらい、仕事のやり方だけでなく、人柄をも尊敬していて、ずっと信頼し続けた上司に対しても。

 

 

 

わたしが嘘を突き通したのは、何があっても自分の人生を望む方向に変えていきたかったからだ。職場が組織の改編で忙しい時期と重なっており、「今辞めて、ラーメン店の従業員になります」などと言ったら、引き留めに合い、説明しなければいけないことが天文学的に増えるだけだった。

 

嘘などつきたくなかった。仕事だけの付き合いでなく、退職後は、近況報告も兼ねた年賀状のやり取りくらいの関係を続けたかったが、あきらめざるを得なかった。わたしが願った退職後における元上司との関係など、その程度のものでしかなかったが、それすら叶えられなかった。

 

退職手続きを進める中で一番避けたかったのは、説得を受け続けているうちに人生を自分の求める方向に変えていけるチャンスを逸することだった。意志が弱かったわけではないと思いたいが、その危険性を徹底して避けたかった。

 

ラーメンに関することはいっさい話さず、実家が自営業をしていることを利用し、「退職したくないが、家業を継がざるを得ない状況になった」というストーリーを作って語り続けた。

 

事情を親に説明し、仁義を切りつつ協力してもらった。必死に営んでいる自営業を息子の退職のための嘘に使われるのは、いい気持ではないだろうなと、かなり悩んだが、背に腹は代えられなかった。

 

1人目、2人目の上司(5人目までいる)とは3回ずつ面接をした。若干の引き留めにも合ったが、実家の都合なら仕方ない、という流れになり、手続き上の時間がかかったものの、話自体はスムーズに進んだ。

 

自分が10年間勤めた組織から離れるのが決まってみると、勤め上げた期間の割に意外にもあっけなさを感じた。 その10年間には、苦労もあったし、楽しかったこともたくさんあり、知り合いも数えきれないほどいた。

 

辞めるとなれば、もっと動かしがたいくらい重く、心にもズーンと重い衝撃的なことかと想像していたが、その時のわたしにとっては、「変わる」ということでしかなかった。

 

退職した後にでも、上司に本音を話そうかとも思ったが、メンツをつぶしてしまいそうな気がしたし、自分の中で余計な心配事を増やしたくなかったのでやめた。近況報告も兼ねた年賀状のやり取りすら許されない。わたしにとって自分の人生を求める方向に変えていく、ということは、信頼し、尊敬していた人とのつながりを断ち切ることも必要であったのだ。

 

わたしは、昔から「人生において誠実さを貫いていきたい」と考えていたし、これまでそうして来たつもりだ。必ずしも、その相手が同じ気持ちではないとは思うが、自分自身の価値観に沿って生きたかった。

 

それが、この退職という重要な局面で「逃げの一手」を打つことになるなんて。気が進まなかったが、自分も含めて関わるすべての人にとって、わたしの退職をスムーズに進めるためには仕方がなかった。

 

嘘のストーリーを作り、語り続けて一年間。新しい仕事への前向きな気持ちは多少あったものの、前の職場で過ごした日々は、楽しく、明るい気分ではなかった。早く職場から消えていきたい、という10年間で初めての気持ちだったのを覚えている。まさしく「逃げの一手」だった。自分が別人になったようで歯がゆかった。

 

去年の12月に4人の上司に送った年賀状に返事があったのは2通だった。これにどのような意味があるのか、大した意味はないのか、いろいろなことが頭をよぎったが、もうどうでもよかった。

 

自分の信条に合わない嘘をつき続けるのは、心の健康にとっていいものではない。

 

 

 

道路上に渦を巻く桜の花びらが過去の記憶を巻き戻しているようだな、と1年前のことを思い出しながら思った。

 

これまで、桜の季節になると、桜を見ながら去年の今頃は・・・と思い出に浸ってきたが、来年からは去年のことだけでなく、そこに嘘を突き通した「去年のこと」が加わるのだろう。

 

「去年のこと」は、自分の求める方向に人生を変えていく決意をしたことであり、自信にもなったが、嘘を突き通したということでもあり、誠実さを捨てて逃げたのではないかという自己不信にもなった。このような自己不信さえ、自信に変えていきたいところだが、もう少し時間がほしい。

 

これまで、古い自分に別れを告げ、新しい自分に出会う季節に、このような重い気持ちになったことはなかった。職場を離れることが「変わる」ことに過ぎず、あっけなさも感じたが、これからは、一種の重みとして記憶に残り続けるだろう。

 

 

 

 

 

もう一度、外に目を向けると、風は収まり、先ほどまで渦を巻いていた桜の花びらもどこかへ行ってしまったようで、そこには明るい日差しが温かい空気を作っていた。近くの小学校のグランドでは、少年野球の練習も始まっており、ユニフォーム姿の小学生が元気に素振りをしているのが見える。

 

 

 

こうして過去を振り返りつつ、時には重い気持ちも感じながら前に進むことが人生なのだろうか。大人も楽じゃないな、などと思いながらすっかり冷えたコーヒーを口に運ぶ。重い気持ちを安いインスタントコーヒーの酸味と苦みと一緒に飲み込むと、少し気持ちが軽くなった。

 

そろそろ仕事に行く準備をしよう。意識的に気持ちを切り替えないと切り替わらない。ホントに大人も楽じゃない。