めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

年老いた親を受け入れる、ということが最後の親孝行なのかもしれない。

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親孝行、という言葉を初めて意識したのは、高校生の頃だったと思う。

 

よく言う「非行」というものに縁のなかったわたしは、地元の県立進学校に入学すると、親戚のいろいろな人に「親孝行なよくできた長男だ」などと言われるようになった。お世辞だとしても、悪い気はしなかった。

 

わたしは、その頃、親孝行とは「親に心配をかけないこと」だと思っていた。だから、高校時代、それまで親にしつけられてきたことを自分なりに守ろうとしていたし、お金の余裕がそこまでないだろうことは想像がついたので、心配をかけないためにも、国立大学への進学を決めた。

 

大学に進学し、親元を離れてからのわたしの親孝行は、「元気な顔を見せること」になった。親のためというわけではなかったものの、GW、夏休み、年末年始などの機会には帰省して顔を見せるようにしていたし、父の日や母の日などには電話で近況報告するようにしていた。その都度、うれしそうな両親の様子を感じると、うれしかったし、自分のことを誇りに思えたのを覚えている。

 

そして、大学卒業後、結婚し、子供を授かってからは、自分だけでなく、妻、子(親にとっては孫)の元気な顔を見せ、声を聞かせることが親孝行だと思うようになった。今でも、機会があれば大学時代と同じように、帰省や電話をするようにしている。

 

これらのことが、世間一般的にどう見られるかはわからないが、子供を連れて実家に帰った時の親の顔を見ると、これはこれでよかったのかなと思う。

 

 

 

さて、なぜ今、親孝行について考えているか。それは、先日ある出来事があったからだ。

 

 

 

先日、実家の両親と一緒に住む母方の祖母からこんな電話があった。なお、祖母は4月上旬にある、わたしの子の入園式に参加するために、静岡から入園式のある東京に一人で来ることになっていた(両親は仕事で来れず)。

 

「みんなに行くなって言われるから、行くのやめようかと思ってる」

 

実家のみんなが行くななどと、言うはずがないことは、前に両親としたときからわかっている。だから、電話の内容の意味がよくわからなかったが、おそらく祖母の被害妄想だろうということには薄々気づいていた。

 

また、祖母の言葉からは、自分の年相応のボケを自覚しつつも、認めたくない悔しさと、自分でも年齢を感じずにはいられない悲しさがにじみ出ていたようにも思えた。

 

祖母は、80過ぎてから若干ボケてきており、最近では被害妄想的な考えをするときが増えてきた。会話の中で、「そういう解釈はないでしょう」とだれもが思うような、自分を責める解釈や、周りからひどいことを言われたという解釈をすることが増えたのである。

 

祖母は、母から言われたことについて、被害妄想的な考えをしたのだろうとは思ったが、事実を確認したかったので、すぐ母にLINEした。

 

母とのLINEでわかったことは、祖母がやっぱり行くのをやめようかと言い始めたこと、行くのをやめる、やめないのやり取りを母と祖母で何度もしたこと、そして、そのやり取りにいら立った母が「何度も同じことを言わせないで。やめたいなら行くのやめればいいじゃない」と言ったことだった。

 

祖母は、「行くのやめればいいじゃない」の部分のみを切り取って、被害妄想的に「みんなに行くなと言われた」と理解したのだろう。

 

わたしが小さい頃の祖母は、頭の回転が速く、山登りが趣味で、おしゃれで、背筋がピンと伸びたかっこいい老人だった。周りのだれからも「若いですねぇ」と言われていたし、わたし自身、人に祖母を紹介するのが自慢だった。

 

それが、最近は間違いなく弱々しくなった。祖母は、姿こそ年齢より若く見えるが、その言動は年相応と言えるだろう。大好きで自慢の祖母だが、「昔の自慢の祖母」ではないことは間違いない。年齢や、時の流れとは、時にとても憎いものに感じる。

 

母も、祖母につらく当たってしまったことを反省していた。「自分の親だと思うと、老いて、弱くなっていく親をなかなか認められなくてね」という母からのLINEがもの悲しげだった。

 

ただ、実家には父方の祖母も一緒に住んでいる。年老いた両方の祖母の面倒を、主に見ているのは母である。しかも、家事だけでなく、仕事もしている。母の負担は、精神的にも、肉体的にもかなり大きいものがあると思う。母の心の余裕は無限ではない。祖母につらく当たりたくなる気持ちもあって当然だと思う。

 

 

 

だが、この状況は、もしかしたら数十年後の自分も経験するかもしれないものでもある。そのときの自分は、これに向き合えるだろうか。わたしの母のように強くいられるだろうか。

 

今のわたしは、自分のことや、家族のことだけで精いっぱいだ。自分たちが楽しく、充実した毎日を送ることばかり考えている。しかし、近い将来のいつか、「そのとき」は必ずやってくるだろう。

 

そう考えたとき、年老いた親を受け入れる、ということが最後の親孝行かもしれない、と思うに至った。

 

「そのとき」には、年老いて、姿や言動が変わり、それまでのようにスムーズなコミュニケーションが取れなくなるだろう。年老いた親とのやり取り意外にも、やらなければならないことは山ほどある。それでいて、自分たちの生活も充実させたいのは今と変わらない。きっと、大変で、イライラもするだろう。

 

想像すると、今の段階で、自分ならできるとは自信をもって言うことはできない。

 

親孝行の在り方は、わたしが、高校、大学、大学卒業後と経験してきたように、時期や状況によって変わるということにも気づいた。これまでは、自分が親に対して「すること」だったが、最後の親孝行は、親を「受け入れること」だったのである。「そのとき」には、それだけの器のある強い人間になっていなければならない。

 

あと20年もすれば想像したくないが、想像できる「そのとき」は必ずやってくる。

 

今は、それだけの心の準備をしておくことも必要だろう。完璧にはいかないことはわかっている。ただ、今はそんなことも頭の片隅に入れておきつつ、強くなっていかなければ、と思うわけである。

 

老いた親を受け入れるということが最後の親孝行なのだとすれば、器のある強い人間になるための準備は、今しておくべき親孝行なのだから。