めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

最近本が読めなくなってきた。本よりもブログか?

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最近本が読めなくなってきた。

読書好きだったはずなのに、なかなか読書したいという気持ちにならず、読書したとしても集中力が続かないのである。

 

本当に読書が好きだったわたしにとっては、かなり大きなことだし、何とかムリにでも読書しようとしている日々がしばらく続いており、精神衛生上よくないので、ここで「読書問題」に決着をつけたいと思う。

 

本が読めなくなってきた状況

どういう状況かと言うと、まず、読みたい本があまり思いつかない。数年前までの自分なら、書店や図書館へ行けば、または本購入のためのネットサーフィンをすれば、胸が躍ったものである。

何を読もうか、何を買おうか。たくさん買って積読でもいいな、などと思いながら読書ライフを楽しんでいた。仕事が忙しくても月に数十冊読むようなこともあった。

読むジャンルも、小説、新書、論文など、分野は広かった。よーし、今月は何冊読んじゃうぞ!のように、(ムダに)冊数を目標にしていたこともあった。

今では、楽しんで読める本は、すぐに生活に反映できるハウツー本ばかりになっている(ハウツー本を軽んじる風潮があるが、価値の高いものもたくさんあると思う)。

 

また、読み始めてからの集中力が続かない。これも、数年前の自分なら、読み始めてしまえば、時間が経つのも忘れて読みまくっていた。読書している途中でトイレのために読書を中断するのが嫌で、トイレに本を持ち込むようなことも普通であった。

それが今では、十数分読書していると、違うことが気になるか、眠くなることが多い。

最近読書するのは、通勤・帰宅電車の中で、往復約2時間である。座る椅子が空いておらず、立ちながら読めばスマホでブログ、ニュース、Twitter、仕事のことなどが気になる。座って読めば、仕事の疲れや睡眠不足、不規則な生活りずむなどもあって眠くなる。

とにかく、読書への集中力がなかなか続かない。

 

(がんばって)読書しようとしているのに、気持ちがそちらへ向かず、読書を始めてもすぐに集中できなくなる状況が続くと、だんだん自分のことがいやになってくる

「なんて意志が弱いんだ」のように。

そうなると悪循環の始まりで、「がんばって読むぞ!」になって、またうまくいかないと「なんて意志が弱いんだ」になる。その落差がどんどん大きくなっていくのである。

数日前までこういう状況が続いていたが、ようやくそんな状況、自分とも決着をつける日がやって来た。

 

本が読めなくなった理由は、感動が薄れてきたこと

中学から読書が好きで、これまで本を読んできたわたしにとって本に興味がわかない、集中力が続かない、というのは初めての経験であって、なかなかに大きな出来事であったので、その理由を考えてみた。

感覚的なことだが、読書による感動が薄れてきたのが、その理由なのではないだろうか。

極端に言えば、感動しないだろうモノを読みたいとそもそも思わないし、読んでいて感動しないモノには集中できない、ということである。

 

まず、読みたい本が思いつかないことについては、本の表題を見たときに、「あぁ、きっとこの本はこういうことが書いてあるんだろうな」とか、「この分野はオレが知っても効果が薄いな」などと思ってしまうのである。

以前なら、自分に関係あろうがなかろうが、それを楽しんでいた。知らない世界を知れることが単純にうれしかったからだ。

それが、今では、自分に反映できることに強く興味が向き、それ以外にはあまり・・・という状況なのである。

小説についても、感動自体が薄れている感じがあって、読んでも楽しいという風に思わなくなってきたように感じる。

 

また、読書の集中力が続かないことについては、表題を見たときと同じで、「こういうことが書かれているんだろうな」と予測しながら読み、「あぁ、やっぱりね」と思うと、どうしても面白味を感じず、読み続けられなくなる

小説も感動自体が薄れているのは上に述べた通りである。

仕事に関係あるリーダーシップや自己啓発系の本も読みつくした感があり、ハック系のハウツー本などは読んでいて楽しいが、それ以外は、たいてい予想通りのことが書かれているように感じる。(自己啓発系は、「7つの習慣」を読んだとき以降読み切った感が出るようになった)

 

(速読、というものに慣れてしまってから感動が薄れているような気もする・・・←わたしがやっている速読法は、別の記事で紹介したいと思います)

 

本よりもブログか?

結論から言うと、本よりもブログに興味が強く向くようになっており、ムリに読書しなきゃいけない、と思うのではなく、純粋に楽しんで読めるもの(気持ちの向くもの)を読むようにした。

本が読めなくなってきたことを認めたくなくて、ムリに読もうとした時期もあったが、最近はあきらめて、純粋に興味の向かうものを読むようにしているのである。

 

大切なのは、読書することではなく、読んだものから何を得たかである。日々ムリして読んだものからは、有益なものを得ることはできないだろう。

 

本は、確かに文章力の優れた作家が書いているモノや、世間から広く認められたモノが多く、一般的には価値が高いとされているし、わたしもその通りだと思う。

しかし、ブログにも、それとは別の価値がある。それは、自分と同じような「ごく一般人」の生の経験に基づく、より距離感の近い文章に触れることができるということである。しかも、スマホを開けば、そこは無限に広がる図書館があるのと同じである(読者数ランキングは意外に使い勝手がよく、TSUTAYAの人気ランキングコーナーのように使うことができ、重宝するようになった)。

 

ムリに続けようとした読書から少し離れ、興味の湧くブログを読むようにしてからは、

ブログは小説よりも生々しく、距離感の近い。それを好きな時に手軽により取り見取りで手に取ることができるのって最高じゃない?

と思うようになったのである。

 

もちろん、文体については間違いなくプロの作家の書いた本の方が優れているので、文章力を磨く目的などであれば、本を読むべきだろう。

ただ、趣味として楽しむ、ということであれば、読書だけにこだわる必要はないのである。

 

まとめ

本への興味がなくなってきたことや、読書への集中力が薄れてきたことは、本の読み方が効率的になって来た、ということなのだろうか(本の内容が当初の予想通りであることが増えた=感動が薄れたから)。

それとも、生活環境の変化に伴うストレスや、年齢的な思考回路の膠着というようなものがあるのだろうか。

真相は今の段階ではわからないが、唯一確信が持てるのは、純粋に興味の持てないことには、なかなか力が湧いてこないということだ。

 

ブログにも、楽しく読め、文体も参考になる記事はたくさんある。そしてそこには、新しい発見が詰まっている。しばらくは、本よりもブログをたくさん読む日が続きそうである。