人それぞれの人生の価値は、本人にしかわからないもので、しかも、それは等しく大切なものだということ
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12月末は、転職の最終的な準備に時間をかけたい(1月2日とかぐらいから仕事始めの予定・・・)ため、現職の有給をとって一足先に年末年始休暇をもらい、実家に帰ってきていましたが、本日で自宅のある東京に帰りました。
わたしは、高校を卒業してから関東の大学で勉強するために家を出ました。
そのころから一年に一回は実家に帰って元気な顔を見せることこそが、これから老いていく親への一番の親孝行になる、と思い毎年欠かさず帰っていて、今年もそのようにしました。
やはり、昔はとても厳しく大きかった親は年々老いています。
また、兄弟も結婚や仕事など、それぞれの道を歩んでいます。
ここ数年は、わたしも親になったり、仕事を変えたりで、「親」としての視点でわたしの親を見ることが多くなり、「長男」の役割みたいなことを意識したり、また、「働くことの意味」を考えたりしてきました。
わたしも昔に比べたらいろんな視点に立って、物事をとらえることができるようになった、ということでしょうか。
そんな視点、考え方をもって実家に帰り、親や兄弟、祖父母などを見ると、これまで気づかなかった多くのことに気づくようになるんですね。
毎年実家に帰る中で、なんとなく感じることはありましたが、今回ほどその気づきについて確信に至ることはありませんでした。これ程、転職を経ていろいろな面でわたしも成長することができた、ということだと思います。
これまでも毎年なんとなく感じてきたものではありましたが、今回、上に書いたように確信に至った、ということで、これを記事にしたいと思います。
気づいたことはとても多いんですが、それをまとめると、
人それぞれの人生の価値は、本人にしかわからないもので、しかも、それは等しく大切なものだ
ということでした。
老いた父は、わたしが小学生のころは本当に厳しい父親でした。よく叩かれたのを覚えています。今では、わたしの孫と笑顔で楽しそうに遊んでいます。また、老眼なのか、眉間にしわを寄せて目を細めながらタブレットを慣れない手つきで操作していました。
昔は厳しく、大きかった父親に人間的な温かさと、終わりがいつかある、という寂しさを同時に見たわけです。
そして、終わりあるものにはその時までに残す価値があるんですよね。性格が丸くなった父、老いてわたしよりも小さくなった父を見て彼が人生で残した価値とは何だろう、と考えてしまったわけです。
また、それぞれの道を歩む兄弟。特に、彼氏ができ、あと数年で結婚しようか、と考えているという妹。彼女は、わたしがテレビを見ているときに横で、趣味の手作りの指輪を作っていました。
彼氏との結婚を考え、自分の趣味を楽しそうにしている妹を見て、時間の流れを感じました。わたしには、妹にとっての価値もわからないし、手作りの指輪なんて作ろうとも思いません。これは、妹がそれぞれに価値を感じているのでしょう。
わたしの子を見て、かわいがる老いた父と自分の道を歩み大人になった妹、それぞれの人生を歩み、それは各々にとっての特別な価値があるということなんですね。
しかも、その価値がその人にとってどのようなものなのか、ということはその本人にしかわかりません。
だから、誰が優秀だとか、お金持ちだとか、立派だとか、そういうことは人と比較してもしょうがないことなんだな、と感じたわけです。
自分自身の人生を自分にとって価値のあるものにする
こういう姿勢こそが大切なんですね。
わたしも今は、父に比べればまだ若いですが、いつか必ず老いが来ます。
その時には自分の人生はどんな価値があったのか、ということをはっきりと実感したいし、わたしの妻、子、将来できるであろう孫などにしっかりと残すべきものを残したいなぁ、と強く思いました。
将来価値を残すためには、一日一日、何かの価値を残していく、ということが大切ですね。日々誠実に生きたいなぁ、と気持ちを新たにしました。
こんなことを感じた一足早い年末休暇でした。
ではまた!