めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

高校時代の同級生からの電話のおかげで、「ありのままの自分」でいてもいいということに気づいた。(転職後20日目)

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高校時代の同級生からもらった電話から気づいたことを記録したいと思います。

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本日の業務内容

【1月20日】

0800起床

0915~1015出勤

1030~1900サブ

1900~2000休憩

2000~2300ホール

2315~0030帰宅

0230就寝予定

感じたこと

3日くらい前に、高校の時に仲の良かった同級生(O君)から結婚式への招待をしたい、という旨の電話をもらった。電話でO君と話して、ここ1年間は、前職の退職や就職、新しい仕事への適応などで無意識のうちに、ずっと緊張し続けていたんだな、と感じた。旧友の声を聞いて、肩に力を入れる必要なく、懐かしい気持ちで素直に話せることが久しぶりだったことに気づいたからである。わたしは、O君の結婚についてお祝いの気持ちを伝えた後、彼の近況を聞いた。O君は東大を出た後、希望通り、どこかの研究機関に勤務しているそうだ。

 

 

 

 

 

高校時代、O君とは同じ空手部に所属しており、毎日一緒に汗を流した。中学までは別々の学校に通っていたので、高校で初めて知り合った。部活以外にも、学園祭の時にクラスモニュメント(2階建ての建物くらいある巨大なもの)を一緒に設計したり、一緒に勉強したりした。また、話が合ったのでお互いに話したいことを話すことができ、聞きたいことを聞くことができたていた。このように、わたしとO君の仲が良かったのは間違いない。しかし、わたしがO君に抱いていた気持ちと、O君がわたしに抱いていた気持ちは違うものであったろう、と思う。

 

 

 

わたしは、O君にあこがれに近い感情を抱ていた。近くにいるのに、自分とは違うところにいる、少し遠い存在のように感じていたのである。

 

 

 

O君は、当時から何にでも純粋に全力で向かい、それを楽しみ、かつ、確実に成果を出す男であった。わたしは元々空手の経験者であり、手を抜いても部内では一番強かった。一方で、O君はあまりうまくはなかったものの、全力で取り組んでいた。結局、O君の実力がわたしを上回るようなことはなかったが、高校生活における部活動の目的を達成したのはわたしではなく、O君であろう。受験勉強もそうだった。受験1年前まで学年400人中300番台後半。中学時代から勉強ができた(らしい)彼でも、さすがに志望校の東大への現役合格は厳しいだろう、とみなが思っていたが、前期試験で失敗するも、最後まであきらめずに十数人しか合格者のいない後期試験で東大に現役合格。卒業後も希望通り研究機関で研究を続けている。O君は、やろうと決めたことに対して純粋な心で全力で取り組んで、それを楽しみ、しかも必ず成果を出すのである。

 

その一方で、わたしはいつも何かに不安や不満を感じていた。わたしは、受験勉強に最も力を入れており、学園祭などの行事物にはあまり興味がなかった(O君が一生懸命だったので、O君に合わせて付き合っていた)。勉強以外のことは「ほどほど」にしておいて、勉強時間を確保したい、と思っていた。成績順位を落とすことが怖かったのである。何をしていても勉強しなきゃ・・・と心のどこかで思い続ける生活を続けていた。しかし、そんな気持ちで時間を作って勉強したとしても成果が出ることはなかった。わたしは、将来やりたいことの方向性を考えることをせず、勉強して順位を上げて、いい大学に入ることしか考えていなかった。「大学はゴールではない」ということを頭で理解しておきながら、大学卒業以降の将来を考えることをしなかったのである。

 

 

 

成果を出したO君と成果を出せなかったわたしの違いは、このようなところにあったのであろう。高校時代を過ごしながらわたし自身、O君は成果を出し、わたしは成果を出せないかもしれないな、と近い未来を感じ取っていた。そして実際その通りになった。そんなわたしは、O君に対して妬みや嫉みではなく、純粋にやりたいことを見つけてそれに全力を向けられるO君を尊敬していた。そして今、「やっぱりO君はすごい」と自分の友人に彼のような男がいることを誇らしくも思っている。

 

わたしはO君に対して、上のような、ある種の尊敬の念をもって接していたが、当時から、O君はわたしのことをどのように思っているんだろうか、という疑問を持っていた。友人がよくしてくれることに対して、このような疑問を持つこと自体おかしいのかもしれないが、わたしは自分自身に対して全く自信がなかったし、自分は魅力のない人間だと思っていた。勉強は、頑張っているのに成果が出ず、部活動は、部内では強いものの、一歩外に出れば大したことはない。自分にはすぐれたところがない。だから、勉強で順位を落としたくないから勉強する。なのに、成果がなかなか出ない。。。だからわたしは、O君に仲良くしてもらっていいのか、という後ろめたさを感じていた。ある種の劣等感、というものなのかもしれない。結局、高校時代にその疑問が晴れることはなかった。

 

 

 

高校を卒業して15年近くが経つが、O君とは高校卒業後も何度か会っている。わたしの結婚式には来てくれたし、わたしが名古屋から東京に転勤になった際など、何かしらのきっかけで、どちらからということなく連絡を取っていた。

 

会うときは、必ず食事と酒を共にした。お互い歳を取り、考え方も生活環境も大人になったな、などと思いながらも、気持ちは昔のままであった。O君は純粋に笑い、全力で楽しむ一方、わたしは、仲良くしてもらえることに感謝しつつも、どこか引け目を感じていた。高校時代に抱いていた疑問は、15年経っても晴れることはなかったのである。

 

 

 

 

 

O君からの結婚式の招待に対しては、仕事の都合で参加できるかどうか今はわからない、と返事をした。できれば参加したいが、飲食業はカレンダー通りにいかないし、数カ月先のことはわからないのである。電話での話はそこで終わらず、O君が続けた。O君は現在千葉に住んでいるらしいが、もしわたしが今東京にいるなら都合を合わせてまた飲もう、と言ってくれたのである。わたしは、いつが都合がよさそうかも同じくわからない、と答えた。また、「電話で伝えるべきかどうか迷った」が、わたしが国家公務員を退職し、ラーメン店に勤めていることも伝えた。O君とは久しぶりに連絡を取ったということもあって、わたしの転職については話していなかったので、どのような反応が返ってくるか「内心ドキドキ」していた。

 

 

 

わたしは、O君に肩書で人から認められていたところがあったのではないか、と不安に思っていたのである。これが、「電話で伝えるべきかどうか迷った」「内心ドキドキ」の理由である。

 

 

 

高校時代には、めんおう君は、〇〇高校だからすごいよねぇ。

大学時代には、めんおう君は、〇〇大学だから・・・

大学卒業後は、めんおう君は、〇〇省幹部だから・・・

職場では、めんおう君は、優秀な成績で・・・

 

 

 

わたしは、これまでの人生の多くを、自分の肩書を守ることに一生懸命になっていたようである。だから、「転職」によって肩書がかわったことを伝えたときの反応が怖かったのである。

 

退職してから、職場でのことを振り返ったが、上司は皆、「わたし個人」ではなく、「わたしのする仕事」を求めていたのである。仕事さえしてくれればわたしでなくても一向にかまわないわけである。また、わたしが、所属する部署から「昇任試験に合格すること」を求めていたのである(わたしのいた省では、部署から試験合格者を出すことが一つの・・・になっていた)。仕事ができて、試験に合格できれば誰でもいいということだ。

 

 

 

自分の殻を守るために、殻に閉じこもって、殻を分厚くする。こんな感覚だろうか。高校、大学、職場でこのような生き方をしてきたために、このようにしか考えられなくなっていたのである。

 

 

 

しかし、わたしから転職した事実を伝えられたO君は、あぁ、そうなんだ!へぇ、じゃあ、その話も今度しようよ!と言った。声の様子、電話越しにO君から伝わってくる空気も昔のままであった。わたしの肩書が変わっても、対応を変えることはない。「わたしの肩書」ではなく、「わたし個人」との付き合いをしてくれていたし、今もそうしてくれているのである。

 

 

 

 

 

わたしのように、肩書を守るために多くの時間や心を使ってきた人はもしかしたら少ないかもしれないし、友人に対してわたしの抱いていたような不安や疑念を抱く人は少ないかもしれない。しかし、わたしにとっては大きな心のつかえであった。

 

肩書が変わっても自分と付き合ってくれる友人がいる、ということは、わたしの自信になった。自分のどこがいいのかはわからないが、尊敬するO君に、人としての魅力を感じてもらっている。肩書ではなく、「ありのままの自分」に。

 

殻を守るために、殻に閉じこもるのはやめよう。転職によって、わたしは殻を破った。殻から出てきたのは、「ありのままの自分」である。これを見守ってくれるのは家族であり、応援してくれるのは真の友人なのだ。そして、それを信じるのは自分自身なのである。大切にすべきは、「殻」ではなく、自分自身を含めたそのような人たちなのだ。