息子との約束を守りたいと思う。
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ふとしたときに不安になることがある。
ネットサーフィンに飽きて音楽を聴いているとき、通勤電車の乗り換えのとき、仕事の休憩中など。いずれも、一人で何をするわけでもなく、ぼーっとしているときが多いようだ。
その不安とは、
父親としての自分を見て、わが子はどう思っているんだろうか?
彼らが大きくなってから、自分が「自慢の父親」であることができるだろうか?
ということである。
バカ親とファザコンの関係になりたいわけではない。ただ、親子の信頼関係が強い家庭は、どんな困難にも負けないとは思うし、親のことを世界一だ(だれにも代えられない)と誇れる子は、強いと思うのである。信頼できる親がいるということ自信につながるからだ。
物心がつけば、「オレは、〇〇の息子なんだから、こんなことには負けない」と心のどこかに思うものだろう。
わたしは、公務員から転職してラーメン店の従業員として働いている。
公務員時代には、たくさんの部下がいたし、世間一般の同年代の中では多くの収入を得ていたし、社会的地位も高かった(公共性と責任の重み)だろう。全国転勤や忙しい仕事など、家族には負担をかける仕事だったが、経済面では不自由させない自信があったし、「うちのおやじはすごいんだぞ」的に自慢できるだけの肩書もあった。
それが、一転してラーメン店の従業員である。海外勤務や会社内での出世(←やりたいことがある)など、健全な野心はあるものの、そんなことどうなるかわからないし、「たかが飲食」と考える人が多いのは知っている。
部下はおらず、収入も公務員時代の6割程度になった。転勤頻度は少ないだろうが、どうなるかわからない。経済的にも不自由なく暮らしていけるとも限らない。近い将来、妻も働く必要が出てくるだろう。
実は、上のようなある程度のお金の心配や生活環境の変化への不安は、だれもが抱えるものであって、今が充実しているだけで十分なのかもしれないし、もっと喫緊の問題を抱えている人がいるかもしれないことはわかっている。
それでも、子供の視点で今の自分を見ると、彼らの目に「自慢の父親」として映っているかどうかが時々不安になるのだ。いくら楽しく、やりがいを感じられる仕事だからといって、家族を大きく巻き込む決心をしたわたしを、大きくなった彼らがどう思うか、ということである。心の区切りをつけたはずの公務員時代の自分をまだ引きずっているのだろうか。
毎日不安ばかりというわけではない。ただ、時々だとは言っても、よぎった不安をそのままにしておきたくない。そんな迷い(不安)が子供に家族に伝わってしまう気がするのだ。
だからわたしは、自分の仕事以外にも自分が子供にとっての「自慢の父親」であるため、「あること」を始めた。
それは、「約束」だ。
困難な目標を達成し続ける上司に部下がついていくのと、本質は同じで、信頼関係(息子からは「自慢の父親」になること)は、相手に対して自分の約束を守り、相手にも守ってもらうことで築いていくものだと思う。
こういうわけで、わたしは、朝の出勤時、息子と約束し、約束を守れたかどうかを、その翌日に確認するようにしている。この際、一方的に息子に約束を守らせるだけでなく、わたし自身も約束をし、その約束を守ることができたかどうかを同じように話している。
息子の約束は、
元気に幼稚園に行く
先生に名前を呼ばれた時に大きな声で返事をする
給食を全部食べる
という程度のものだ。
わたしの約束だって、
元気に仕事に行く
おいしいラーメンを作る
道草せずに帰ってくる
くらいのものだ。
他愛のないものでいい。この積み重ねが、「オレのおやじは、何でもできるんだ(=絶対に約束を守ってくれる)」、「そんなすごいおやじの息子であるオレはやれば何でもできるはずだ」という息子自身の自信になると信じている。
息子は、いつも約束を守ってくれる。昨日も元気に幼稚園に行ったと報告してくれた。今日も給食を残さず食べて帰ってくるだろう。
わたしも、元気にお店に行き、おいしいラーメンを作り、道草せずに帰ってくるという約束を守りたい。そして、約束を守れた報告をしたい。
子供にとっての「自慢の父親」になるために、子供との約束を日々守ること。そして、子供の自信につなげること。これも父親としての生きがいなのかもしれない。わたしは今、そのように思うのである。