めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

年のいった人ほどブログをした方がいいと思う。

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先日、息子の入園式があった。これに合わせて、実家から祖母(息子にとっては曾祖母)が来てくれた。

 

入園式は無事に終わり、その夜にお祝いのケーキを食べることになった。

 

祖母と一緒にケーキを買いに行くと、祖母がその代金を払ってくれた。代金を払い終えた祖母が嬉しそうに孫(わたしの息子)と手をつないで店を出てくる様子を見て思ったことがある。

 

 

 

年を取れば取るほど、その役割は、「若い世代に与える」ことになる、ということだ。

 

 

 

祖母は、わたしが子供だった頃からいろいろなものを買ってくれたし、お小遣いをくれたものである。おそらく、どの家庭でも同じような光景があるのではないだろうか。

 

もちろん、祖母がお金を出して当然、と思っているわけでも、言いたいわけでもない。ここで言いたい「若い世代に与える」というのは、金銭的なもののことではない。むしろ、知恵や生き様、のことだ。

 

わたしは、祖母が若かった頃の話を聞くのが好きだ。何度か聞いたことのある話を聴くこともあるが、これが嫌ではない。それが彼女たちがこれまで蓄積してきた経験であり、肌で感じた時代だからである。

 

 

 

Twitterやブログにおいて、若い世代には、年代の上の人からの指摘や発信について、「老害」と言って切り捨てる風潮がある。わたしも何度か「老害」という言葉を見て、悲しい気持ちになったのを覚えている。

 

年代が違えば、生きてきた時代が違い、境遇が違う。そして、それに応じて価値観が違う。だからこそ、上の世代の発信に違和感を感じたときが、自らの視野を広げるチャンスなのである。「老害」と言って切り捨て、思考の外に追いやるのは、一種の思考停止であり、視野を広げるチャンスをみすみす見逃すことになる。

 

SNSの分野では、毎年のように新しいサービスが登場し、わたしのようにまだまだ若い世代の人間にとっても、新しいものに追い付いていくのが難しくなっている。

 

しかし、ブログなら、文章を打つ程度のパソコンの操作ができ、ネットの仕組みをある程度理解していれば利用できる。そう、今、年代が上の方はこれからでも始められるし、若い世代や中年世代で、今している人は、簡単に続けていけるのである。

 

ブログの続けやすさと、年のいった人ほど若者に与える役割が大きくなることを踏まえれば、彼らこそブログをした方がいい。そこで、その世代ならではの価値観を発信してほしいのである。

 

その一方で、若い世代は、「老害」として切り捨てたり、同世代間で談合めいた自己満足の発信を続けるのでなく、価値観の違いに耳を傾け、正面から向き合い、自らの位置を確認するべきだと思っている。自己位置がわからなければ、進んでいる方向が正しいかどうかなど、わかるはずがない。

 

わたしは、今、ネット上での活動に積極的でない高齢世代と、彼らの数少ない発信を「老害」と言って切り捨てる若い世代は、どちらもその役割を果たし切れていないと感じている。この記事を読んでいただいている皆さんはどのように感じておられるだろうか。

 

わたしは若い世代として、切り捨てることなくアンテナを広げたいし、年齢的な位置づけの変化に伴って、世代として果たすべきそれぞれの役割を果たしていきたいと思っている。

 

「もしかしたら、「老害」というのは、若い世代からのこれ以上ない誉め言葉なのかもしれない」というくらいの強気でやっていってもいいのではないだろうか。今のわたしは、こう思うわけである。