めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

野党の予算委員会における審議拒否にはうんざりしている。

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スマートニュースを見ていたらこんな記事が掲載されていた。↓

 

news.tbs.co.jp

 

要は、野党が国会の予算委員会に出席せず、審議拒否するというのだ。

野党の審議拒否は、今始まった話ではない。歴史を紐解いてみると、1960年代には議場独占といって、審議ができないように議場に立てこもるといった物理的手段を取っていたようだ。

それが国民の政治不信を生んだために控えられるようになり、審議拒否という形に変わっていったという。

わたしは野党の審議拒否に関するニュースを見るたびに、「また始まったよ・・・これ意味ないからやめてほしいな」とうんざりした気分になる。上の記事を読んだ時もそうだった。

いつもは、うんざりした気分になって終わるところだが、今日は考えてみた。国民から選ばれた頭のいいはずの政治家のすることだから、何か意味があるはずだ、と。どんな意味があるのだろうか、と。

 

しかし、どうしてもその意味が見いだせなかった。。。いくら考えても、審議拒否は、政治的な成果がないとしか思えない。この記事では、審議拒否は政治的な成果がないと考えられる3つの理由を述べていきたい。

 

今回の審議拒否の背景や理由について

上の記事によれば、国会で行われる予算委員会の審議に維新(日本維新の会)以外の野党が欠席する、とのこと。そして、その理由は、財務省の前事務次官財務省No2)のセクハラ疑惑を巡る麻生財務大臣の辞任要求などが通らなかったことだ(政府の他の問題の影響もあるだろうが)。

上に、審議拒否は今に始まったことではない、と述べた。これまでにも中川財務大臣の辞任要求や日銀総裁の人事への不服などを理由に審議拒否してきた。「要求」が通らないときに審議拒否するという流れになっている。

 

審議拒否は、レギュラーになれなかったサッカー部員のムチャな要求と同じ

今回においても、麻生財務大臣の辞任を求めて審議を拒否しているという形になっている。本気で要求をのませるための審議拒否だったとしても、麻生大臣の進退を決するのは政府である。今のように野党の実力のない状況であれば、審議拒否によって政府が動くとは考えられない。

野党が要求をのませるために審議拒否している姿は、サッカー部でレギュラーメンバーになれなかった2軍選手が「レギュラーになれないなら、部活辞めますよ」と脅しているのと同じだ。部としては、一瞬、「ちょっと待てって、少し頭冷やして考えろよ」となるが、だからといってその選手がレギュラーになることはないし、いい加減「そうか、ならやめろよ。かまってる余裕ないからさ」となるのである。

 

一方、野党は端から審議拒否による要求が通るなどとは考えておらず、審議拒否によって、政府の失態を大きく取り上げ、政権にダメージを与えることが目的なのかもしれないとも考えられる。

野党は、解散は大儀なし、としていることから、「審議拒否によって政権にダメージ→不信任案提出→(解散でなく)内閣総辞職」という流れに持っていきたいのだとも考えられるのである。(すべては与党(政府)に決定権のある話であって、こちらもうまくいくわけない)

 

野党の審議拒否の狙いが本気で要求をのませるためだったとしても、政権にダメージを与えるためだったとしても、その目的が達成できる可能性は極めて小さい

 

審議拒否で得られる成果は、メディアがすでに獲得してくれている

審議拒否で得られる成果としては何があるだろうか。審議をしていないのだから、本来審議から得られるはずの成果ではないことは確かだ。

「麻生大臣が辞任しないなら審議拒否」ということであれば、「麻生大臣が辞任しないということ」にスポットライトが当たる、ということだろう。

 

しかし、実際、野党が審議拒否しようがしまいが、麻生大臣が辞任しないということはメディアが十分に報道してくれている。4月19日の、菅官房長官が、「国民の厳しい視線が注がれている財務省の陣頭指揮に当たって、信頼回復に努めてほしい」という麻生大臣続投の方針表明に関する報道があった段階で、国民はすでに知っていることなのである。

これを見て国民が政権に対してどのような評価を下すかと、野党の審議拒否は全く関係ない

 

野党の審議拒否は、与党の揚げ足取りにすがる野党の必死さと、後追い感がむなしく残るだけだ。

 

審議すべき時間に審議しなかったことの取り返しがつかない

麻生大臣の辞任要求と予算委員会の審議はまったく関係ない。

要求が通らないなら審議拒否、というのは、論理的におかしな話で合って、仮に(万が一)審議拒否によって麻生大臣が辞任したとしても、審議すべき内容が審議できなかった、という事実は消えないのである。

しかも、十中八九、麻生大臣の辞任要求は通ることはなく、予算委員会においても、多数決によって野党不在のまま与党の案が通るだけだろう。

 

であれば、正々堂々と勝負すればいいじゃないか。

審議拒否するのではなく、しっかりと審議もするし、麻生大臣が辞任しないことにも別に主張すればいいじゃないか、こう思うわけである。

 

野党が審議拒否をしていたら、予算審議における野党の役割を果たすのはだれなのだろうか。

 

まとめ

野党の審議拒否の政治的成果が小さく、むなしいことであると考える理由を述べてきた。

 

わたしは、自民が好きとか、野党が嫌いとかそういうことを言っているのではない。野党が「審議拒否」という手段に訴えることが許せないのである。与野党が逆転して今の与党が審議拒否した場合も、同様の考えである。

 

すでに述べたように、本来審議すべき時間に審議しなかったことの穴は埋まらない。審議拒否という手段に出ることをよしとしている人はいるのだろうか。怒り任せに言っているのではなく、審議拒否の効果が本当にわからないし、分かる人がいたら教えてほしい。

少なくとも、国会議員は、わたしたち国民の代わりに国会で討議する権利を有するのだから、本来すべきことをすべき時間に、許されたお金を使って大いにやってほしいわけである。もちろん、審議拒否も、その権利なのだろうが、どうも理解に苦しむ。

 

政局闘争でなく、政策論議をすすめてほしいと一国民として切に願う。ただそれだけである。