有料noteには、書き手としては手を出さない方がいいと思う理由
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先日、文章、動画、音楽などを投稿したり、有料で売買したりできるnoteというプラットフォームについて、
という記事で軽く触れた。
上の記事では、わたしが有料noteを購入した体験談について紹介した。
SNS上では、一般人でも自分が作成したコンテンツに値段をつけ、売ることができる有料noteが盛り上がりを見せている。Twitterでは有料noteという単語を見ない日がないくらいだ。
はあちゅうさんなど、人によっては大きく稼いでいるようだ。その様子は以下の通り。
もうダメだ…。
これ以上売れたら困るので300円→500円に
値上げしました。【再追記、4月18日】もうほんとに売れなくていい。600円にしました。
(読みたい方は月刊はあちゅうを…)
(売れて困るなら無料にするか、発信するのをやめればいいのに、と思うって記事を書いたら、うらやましいだけだろ!って怒られそうなので、これくらいにしておきます)
だから、わたしも有料noteやってみよう、という人もいるだろう。
わたしも、一瞬「これでお金・・・」と思った一人である。
一瞬「これでお金・・・」とは思ったが、どうも違和感というか、釈然としないものが付きまとった。そして、少し考えてみると、有名人やものを書いて(売って)収入を得ている本当の実力者以外は、書き手としては有料noteには手を出さない方がいい、という結論に至った。
その理由は一点のみだ。
それは、値段のつけ方があまりにも難しすぎて、そのためにいろいろなところでバランスが崩れることである。
これについて、もう少し詳しく以下に述べていくので、是非みなさんにも考えてみていただきたいと思う。
※この記事(わたしの考え方)の前提は、わたしがブログに書いているようなタイプの雑記を書いて売ろうとする場合である。特化ブログの人は値段のつけ方は比較的簡単かもしれないなとは思います。
有料noteとブログ(無料)の差別化が極めて難しい
無料で記事を書いてきた人にとって、何をもって有料にするのか?ということである。
誰でも自分の記事に値段をつけて売ることのできる有料noteというものを知り、自分の記事とお金の価値について考えるきっかけになったのはおもしろい経験であった。
ただ、考えるほどに、無料で、雑記と言われれる記事を書いてきた人間にとっては、有料にする基準がわからなくなる。
書くのに要した時間だろうか、調べるために使った資料の金額だろうか。これは違うだろう。そんなものは、書きたいことを書くために必要としてきたわけだから、投稿するときは無料でいいわけだ。
「知人に読まれることを防止する」という意味もあるらしいが、そんなものは機能しない。むしろ、知人に読まれないために有料とされた方が読みたくなるだろう。
わたしが思うに、有料になるのは、どこからかスポンサーがついたり、電子書籍化しないかというオファーがあった場合だけではないだろうか。こういう場合は、お互いに利害が発生するわけで、有料にするのが普通だ。感覚的にも引っ掛かりなく理解できる。
このように、無料で投稿してきた身としては、外部からの力が働かない限り、有料にする基準がわからないのである。
仮に、一部の記事を有料にしたとしよう。
すると、無料で読める記事の価値が下がるのではないだろうか。また、万が一、有料記事がそれほど面白くなかった場合、「こいつ何やってんねん!?」ということになり、有料・無料ともに記事の価値が下がるというか、書き手としての品格が下がるような気がする。
「めんおうさん、気にしすぎだよ。あんたにはそんなに注目してないよ」という声が聞こえるが、人気があるとかないとか関係なく、一人の書き手として誇り高くありたいと思うのである(僕はベジータが好きです)。
わたしは、有料noteを書くことによって、安定して続けてきたブログに波風を立てたくないし、バランスを崩したくない。余計なことを考えながらのブログはいやだ。
また、これも仮の話だが、わたしが有料noteを売りに出して、買ってくれた方がいたとしよう。
すると、きっとその人を「よきファン」として、それ以降はその人を意識した記事を書くようになるのではないだろうか。
こうなってしまっては、書きたいことを書きたいように書くというブログのスタイルは維持できなくなるし、お金を払ってくれたファンを厚遇することにつながる。これは、もちろん文章中に出す必要はなく、読み手のみなさんに「僕は書きたいことを書いてます」と言うことはできるかもしれないが、内心ウソをついている自分が嫌になると思う。
ちなみに、お金を払ってくれたファンを厚遇するという姿勢については、下の記事が詳しい。(わたしはこの考えに大賛成である。というか全く同じ意見である)↓
はあちゅうさんの「金を出さない人はファンじゃない」発言にとても悲しくなった - さようなら、憂鬱な木曜日
売れるのは結局、有名人のものか真の実力者のものばかり
わたしが有料noteに手を出さないほうがいいと思う理由は、主に上に書いたように、有料noteとブログ(無料)の差別化が極めて難しいからであるが、仮にわたしのような一般人が有料で販売したとしても売れないだろう。
売れるのは、面白かろうが面白くなかろうが出せば読まれる有名人のものか、読めばその代金に見合った知識や感動を得ることのできる真の実力者のものばかりである。
有名人の私生活は、みなの好奇心の的であるが、わたしの私生活などだれも興味がない。わたしが今、ネスカフェゴールドブレンドを飲んでいようが、おーいお茶を飲んでいようがどうでもいいはずだ(ちなみに、香味焙煎が好きです)。
真の実力者のものを買うのは、本屋に並んでいる本を買うのと同じ感覚だから、説明はいらないだろう。
有料noteが登場し、だれでも自分の記事に値段をつけて売ることができるという環境ができたことは、チャンスの広がりという意味では魅力的だが、実際のところ広がったのはチャンスよりも貧富の差や人気の差なのではないだろうか。
あくまで感覚的なことで恐縮だが、ちょっと売ってみようと一般人が販売した記事よりも、すでに売れっ子の有名人や実力者が販売した記事の方がよっぽど売れているはずである。(もちろん、一般人に埋もれた真の実力者が発掘される場合もあるだろうが、無視できるくらいの数だろう)
よって、わたしは、売れる可能性の少ないもの(多分売れないもの)を売ろうして、上に書いたようにブログとのバランスを崩す危険性を負いたくないという風に考えてしまうのである。
(保守的過ぎますかね?)
まとめ
結局、有料noteはブログとは違うものだと思う。
それは、音楽や動画を投稿できる、という点についてではなく、同じように文章を投稿する部分についても、「有料」となった時点で違う概念のものになってくるのである。
ブログは、読み手としては、読んだりコメントしたりするのは完全無料である。だからこそ、書き手としては書きたいことを書きたいように書くことができる。売らなくてもいいわけだから。
一方で、有料noteは、売ろうとしにいっている段階で、すでに書きたいことを書けなくなる。もちろん、書きたいことを書いて収入を得る、というスタンスもありだが多くの人にとって、それは難しいだろう(というかムリ)。
ただし、もしもわたしが有名人だったり、十分に物書きとしての実力をつけたような状況になった時には、有料の記事を販売するかもしれない。そんなときは来ないと思うが、それはもう、物書きとして文章を書くことを主な収入源にしているような状況になった時だろう。
そうなったら、文章を書くことに時間を使うこと自体が仕事なのだから、読み手にとっては、むしろ「えっ!この記事無料で読めるの!?ありがたや、ありがたや」となるだろう。(物書きでありながら、無料でブログもしているシロクマ (id:p_shirokuma)さん、上田啓太 (id:premier_amour)さん などは、心底すごいと思います)
日々新しいサービスやコンテンツが登場していて、刺激に満ちている。「noteが出版社と契約して、noteユーザーから作家への道を拓く」というようなこともツイートされていた。
機会があれば、これについても考えてみたい。
ではまた!
※アンチ有料note!のような記事になってしまったかもしれないが、有料noteを書いている人やその仕組み自体を否定するものではありません。
あくまで、有料noteで稼げる可能性があるということ自体はすばらしい、というスタンスなので最後にこれだけ付け加えさせてください。
有料noteを買ってみた体験談についてはこちら↓