自分らしいブログって何だろう?
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先日、このブログを読んでいただいている、アザゼル (id:xlab)さんから「最近のめんおうさんの記事には「かつて」のような尖りがない」(もちろんもっと丁寧にコメントいただきました)という趣旨のコメントをいただいた。(指摘されている「かつて」とは、転職前後のことだと思う)
コメント自体いただけたのは、ありがたい。ただ、その内容がとても鋭いもので正直驚いた。
わたし自身、少し前から、そして現在進行形で考えていたことを図星で指摘されたからだ。
わたしがここしばらく考えていたこと。それは、
自分らしいブログって何だろう?
ということだ。
ブログを始めてちょうど半年。
ありがたいことに、多くの方に読まれるようになった。
やっぱり、書きたいことを書く、とはいっても公開している以上、読まれ、反応をいただけるのはうれしいし、当然その分、自分の成長の糧にもなるだろう。
ただ、半年間ブログを続け、300記事を書き、当初よりも多くの方に読んでいただけるようになって、迷い(悩み、とも言えるかもしれない)が出てきたのも事実だ。
内容、書き方、他の方のブログの読み方、記事作成時の気持ちなどなど。
こういう表現をすると怒られるかな、伝わらないかな?
これって、自分を飾りすぎていないかな?
この記事書くの面倒かも・・・やめようかな・・・。
記事を書くときには、上のように、迷いながら書いてきたが、最近それが多くなってきたような気がする。
そして、数日間の間に記事の書き方が変わることある。毎回毎回自らの記事をチェックしているわけでも比較しているわけでもないが、感覚として。
きっと、そんな迷いが書き方に出ているのではないだろうか。
ブログを読んでいただいている方からの意見もいただき、自分でもちょうど考えていたところなので、この機会に、もう少し時間をかけ、今の考えをまとめておきたいと思う。
きっと、自分らしいブログとは何か、自分なりの答えを出せれば、もっと肩の力を抜いてブログを続けられるだろうから。
以下、ブログを始めてから半年の間のブログのスタイル、変わったところや迷いが出てきたところなどをそれぞれまとめ、最後に「自分らしいブログとは何か」について結論付けたい。
- ブログを始めたきっかけ
- 転職前後の激しい感情の起伏と、ある程度落ち着いた今という環境の変化
- 記事一つあたりにかける時間の減少
- ブログスタイルの変化は、ほとんどない
- 読みに来ていただける方の増加
- 自分が読むブログの影響
- 自分らしいブログとは(結論)
- まとめ
ブログを始めたきっかけ
わたしは、今年の1月に転職を経験したが、これは、わたし個人にとって人生の中で一番大きなできごとだった。
30代に差し掛かり、家族を抱え、これから子供たちの教育費もかかってくる。そんなときの転職である。
これまで、人生という、わたしにとってあまりにも大きすぎる問題に向き合って考えることを避け、周りの様子を見ながら進む方向を決めてきたわたしには、転職は、人生で一番頭を悩ませたし、決断するのに勇気のいることだった。
わたしは、この転職が、人生の転機になる気がしてならなかった。転職前と後では、世界の見え方が違ったからだ。
自分自身の頭で考え、情報収集し、周りを説得し、力強く前へ踏み出る。そんな経験を経たわたしにとって、怖いものは何もない、そんな気がしたのである。
転職後の生活は、省庁での仕事しか知らないわたしにとって、そのすべてが新しい発見になるに決まっていた。
だから、この大切な経験、日々のできごとやその時感じたことを記録していきたい、と思ったのである。こうしてわたしは、その記録のためにブログを始めたのであった。
転職前後の激しい感情の起伏と、ある程度落ち着いた今という環境の変化
ブログを始めた当初と今とでは、わたしにとってのブログの価値や書く内容などが大きく変わっている。
先日投稿した、ブログを続ける理由を改めて考えた。という記事にも書いているが、わたしにとって、日記としての記録でしかなかったブログは、交流の場となっている。
日記を書いているうちに、多くの人に読んでいただけるようになり、また、コメント等のやり取りをするようなって、ブログを通したコミュニケーションの楽しさを知ったのである。
コミュニケーションには相手が必要だ。そして、相手がいるということは、発信する側も相手を意識せざるを得ないし、それは自然なことだと思う。
わたしにとって、交流の場となったブログだが、もちろん日記としての側面もある。
だから、日々の経験や感じたことを書いているが、相手がいることを意識するとその書き方が変わる。
伝わるように書く必要が出てきたである。書き方、言葉遣いなどなど。
このようにして、自分にとってのブログの価値が変わるにつれて、書く内容が変わったのである。
また、ブログの内容は、環境の変化や自分自身の物事への姿勢の変化によっても大きく変わった(多分これが一番大きな要因)。
転職前後においては、感情の起伏が極めて大きかった。
それまで10年間やってきた国家公務員から、ラーメン店従業員への転職。
やったことのない接客業。これまでお世話になった諸先輩や同僚、同期からの心配や好奇のまなざし。家族への負担。
決断が揺らいだり、後悔したりすることはなかったし、新しい職場は親切で、仕事も楽しかった。ただ、それでも時には涙が出るようなできごとや、これで本当によかったのか、と思う瞬間があったのである。
ブログを始めて1、2カ月間の記事は、そのほとんどが日記であり、経験したできごとと感じたことの記録だった。
絶対記録しておきたい、と思うできごとや感情の起伏があったということだろう。
2カ月も経つと、職場や仕事には慣れたし、周りからの心配や好奇のまなざしを気にすることもなくなった。
もう国家公務員ではなく、ラーメン業界の人間なんだという自覚をもつことができた、というのが大きい。
すると、心に余裕ができ、感情の起伏が減った。
日記としてつづることがなくなったわけではないが、刺激的なことが減ったのは間違いない。こうして、刺激的なできごとを通して感じたことを記録することが多かった「日記」が、それだけでなく、あるサービスを使ってみての感想や読書の感想などを多分に含む「日記的なもの」に変わってきたのだと思う。
これは、よくいう「ネタ切れ」というものではないが、これこそが、「かつて」のブログとはやや異なる印象を受ける要因なのだろう。
記事一つあたりにかける時間の減少
人生という大きく、長いスパンの観点から見ても大きな意味を持つ「転職」前後の記録をつづっていたころに比べると、一つの記事を作成するのにかけている時間は間違いなく減っている。(この記事は長くかかりそうです。今2,500字だけどまだ続く・・・汗)
それは、記事作成がテキトーになっているのではなく、取り上げるテーマが転職ほど大きな問題(考えるのに時間のかかる問題)ではなくなったことによる。
そりゃそうだ。毎日転職のような大きな経験をしていたら身も心も持たない。
でも、転職当初の記事がなつかしいな、とも思う。(例えば、こんな記事を書いてました↓)
店に省時代の同期が来て、複雑な気持ちになった。(転職後12日目)
高校時代の同級生からの電話のおかげで、「ありのままの自分」でいてもいいということに気づいた。
このように、日々の経験から感じたことを書いていると、日々の経験が変わって来れば、当然取り上げるテーマや書く内容も変わってくるのである。
考える時間をかけるテーマが減っている、ということは、ある意味、考えずに書いている、とも言えるのか?それはよくわからないけれど、とりあえず、「かつて」に比べて書くために考える時間が減っているということは明らかなのである。
ブログスタイルの変化は、ほとんどない
ブログを始めて数日間こそ、PV向上のためにムリした形跡の見える謎の記事を書いたこともあったけれど、日記のために始めたブログは、当初から文章主体の記事だった。
日々の経験と感じたことを書くには文字のみで十分だし、どちらかと言うと、わたしはそれが得意で好きだから。
このスタイルは今も変わっていないし、これからも変えることはないと思う。
読みに来ていただける方の増加
ブログを始めて半年間で、とてもたくさんの方に読みに来ていただけるようになった。これに関しては、とてもありがたいことだと思うし、純粋にうれしく思う。
交流の場としてのブログであれば、読む人が多いということはわるいことではない。
いただいたコメント等に納得のいかないことや、自分の伝えたいことが伝わらなくてヤキモキすることもあるが、それ自体、自分の考え方などを見直すきっかけになるので、価値のあることだと思っている。
ただ、読みに来る人が多くなると、伝わるように工夫しようというマインドができる。そして、それが行き過ぎると、読んでもらえるような記事を書こうという気持ちも顔を出す。
収益を狙ったブログではないし、注目されるための記事でもない。自分が自分のために書きたいことを書くためのものだ。
それはわかっていても、読んでもらいたいな、という気持ちがないわけでもない。書いているとき、5~10%くらいは読者のことを思っているし、時にはそれがMAX20%くらいになることもある。
その波が押したり引いたりするのを感じながら何を書こうか考え、書きたい記事を書く。
記事を書いているときのマインドはそんな感じだと思う。読まれることが増えるのに伴って、その迷いの波を感じることも多くなったように感じる。
わたし自身、所詮、まだまだ腹の据わっていないブログの初心者だということだ。
自分が読むブログの影響
他の方のブログを読むようになって、自分が記事を書く上で、無視するには大き過ぎる影響を受けたと思う。
特に、文体(書き方)に関して影響を受けた。
よく言えば、書きやすく読みやすい文章を書けるようになってきた、ということだと思うが、悪く言えば、ブログっぽい文章になった、ということだろう(丸く小さく収まったというか)。
他の方のブログを読んでいると、「この人の文、読みやすいなぁ」と思うことがある。だいたい、読みやすいと感じる文体は自分にとって書きやすい。
「よし、あの文体をまねるんだ!!」などと決めたり、意気込んだりしなくても、次に自分で文章を書いてみると、なんとなく似てくる。
文字を打ち込んだ後、読み直してしっくりこないところを打ち換えるときに、無意識のうちに「あの文体」を思い出している、そんな感じだと思う。
これは別にわるいことではないし、こういうようなことを繰り返して自分ならではの文体や書き方を身に着けていくものだと思う。
小学生のころの字と大人になってからの字が、なんとなく似つつも、大人っぽくなるのに似ている。
自分らしいブログとは(結論)
これまで、ブログを始めた当初から変わったことと変わっていないことをまとめてきたが、わたしは、自分らしいブログとは、
心の引っ掛かりなく、表現したいものを、表現したいように表現したもの
だと思う。
いろいろと考え、整理したことで、なんとなく思っていたことを確信に変えることができた。
何のためにブログをしているのか、という目的は、人それぞれだし、目的の意識がなく、なんとなく始め、なんとなく続けている人もいるだろう。それはそれでありだと思う。
思ったことや感じたことをぶつけるだけでもブログだし、たとえ、だれも見に来ないブログもブログだと思うから。ブログには、そういう懐の深さがある。
今、どのような環境で生きているか、どんな生活をしているか、心の持ちようはどうか・・・こういったことで、表現したいもの、そして、それをどのように表現するかは変わる。わたしの転職前後の時期と今とで違うように。
「自分らしさ」というのは、固定的な「自分」というものから出てくるものではなくて、環境によって変わるその時々の「自分」から出てくるものなんじゃないかな、と思うのである。
まとめ
自分らしいブログって何だろう?
という問いへの自分なりの解答は、
心の引っ掛かりなく、表現したいものを、表現したいように表現したものだった。
わたしがけっこう大切だな、と思うのは、「心の引っ掛かり」というところ。
わたしも、心の引っ掛かりを感じずに記事を書いたことはほとんどない。心の引っ掛かりがあるからこそ、首をひねりながら書くし、下書きを読み直したときに「修正」するのだろう。
こういう表現をすると怒られるかな、伝わらないかな?
これって、自分を飾りすぎていないかな?
この記事書くの面倒かも・・・やめようかな。
このように大きな引っ掛かりを感じる時すらある。
心の引っ掛かりを感じたときにどうするか。
書かない、修正する、もしくは読み直しも、修正もしない。実は、何をしたっていいと思う。
自分らしくあろう、自分らしいブログを書こう、なんて思わなくていい。意気込もうが、意気込まなかろうが、最後に出てきたものこそが自分らしいブログなのだから。