ブログを読みに来て下さるみなさんに対する気持ち
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わたしは、去年の11月下旬にブログを開設した。
だから今日で約7カ月半が経つわけだ。
この間、生活環境はもちろんだけれど、ブログに対する姿勢もだいぶ変わってきたように思う。
これまで何度か(「何度も」ですよね・・・)、わたしのブログに対する思い(愛)については記事にしてきたけれど、読みに来て下さるみなさんに対する気持ちについては書いてこなかった。
そんな中、最近、Twitterを再び始めて、「読み手」を意識することが増えた。
Twitterは、ブログよりも「読み手」からの反応が多く、また、その反応がリアルタイムに近いから、そこに気持ちが向く機会が多くなるのである。
また、おかげさまで、このブログに読者登録いただいている方も1,450人を超えた。
このように、Twitterを始めて「読み手」を意識することが増えたこと、そして、読者登録者数が結構な数になってきたことがあり、「そういえば、読み手に対する気持ちが結構変わって来たんだよなぁ」と気づいたことがあったので、その漠然とした気持ちを整理したいと思う。
ブログを読みに来ていただけるということ
生計を立てるためや、趣味や日記など、ブログをする目的には、いろいろなタイプの方がおられると思う。
わたし自身は、思ったことや感じたことを書いていく感じで続けている。(完全に趣味です)
長く読みに来て下さっている方はご存知の通り、わたしの書く記事にもいろいろなものがある。
日記、ブログ論(←わたしが大好きなやつ)、読書感想、料理(←最近ご無沙汰)などなど。
やっぱり、生活する中でのことを書いているからこそ、書くことが無限に出てくるし、楽しく続けられるのかなと思う。
ブログを始めるときに、特化型を選ばなかった自分に感謝です。
さて、いろいろな記事があるからこそ、読者登録をして長く読みに来て下さっている方もいれば、調べたいことを検索してたどり着いた方、また、Twitterなどから興味を持っていただいた方などがおられる。
読みに来て下さるみなさんも十人十色なわけである。
書いた文章を、だれかがたまたま見つけて読んでくれること
わたしの文章を好んで(ってことでいいですよね!?)いただいて、読み続けていただけること
調べたいことを調べられて、帰って行かれること
きっと、わたしのブログにたどり着かれた方は、上に書いたようにそれぞれの目的があるのだろう。
一期一会という言葉がある通り、それぞれ、読みに来てくださったことに対して等しく純粋にうれしいし、交流できた機会に感謝したい。
家にお客さんが来られる時は、掃除をして、お茶やお菓子を用意して・・・ってやるけれど、そのように、記事を書いて、準備してブログに招きたいし、楽しい時間を過ごしていただければいいなと思う。
わたしにとって、ブログを読みに来ていただけることとは、このような感覚のものなのである。
「〇〇人達成!読者の皆様に感謝感謝!!」というものに対する違和感
ブログでもTwitterでも、よくこのような記事や企画を立てているのを目にするけれど、ブログを始めた当初から、これには違和感があった。
何のためにブログをやってるのかな?そんなに数値的なものが必要なのかな?と。
確かにPVや収益、また、読者数だって、数が増えればうれしい。認められたような気がするものだから。
でも、それを大々的に発表するのは、個々の好きなようにやって問題ないとは思うけど、感覚的に違和感を感じるのである。
それに、フォロワーを増やしたいなら、フォローしてくださいと超正直に言った方が誠実な気がするのである。
フォロワー数が多いことは、確かにメリットもあるだろうことはわかる。でも、その意図を半分隠しているようなところに違和感を感じてしまうのだ。
やっぱり、〇〇人に感謝感謝!ではなく、自然に湧き出る感情や考えを書いた記事を読んでもらって、それで読者になっていただく方がいいのかなって思うんですよね、わたしは。
でもやっぱり、読みに来て下さることは本当にありがたい
感謝感謝!になんとなく違和感がある、ということは上に書いたけれど、読みに来ていただけるのはありがたいし、読者数が増えることは純粋にうれしい。
特に、読んでいただけることがありがたいことだと再認識したのは、Twitterでの最近の経験でのことだ。
Twitterでは、タイムライン上に、フォローしている人のツイートがどんどん流れてくるけれど、みんながそれぞれのツイートに返信し合っているのを見たときに思ったのである。
発信された情報の受け手は、本当にいろいろなことを思っているのだなぁ、と。
ブログでも、コメントやブクマをいただいたときには、読み手がどんなことを思ったのかを知ることはできた。
ただ、Twitterの手軽さ(アプリ起動から返信までの時間はブログの1/10くらい?)に比べると、ブログでのコメントは、その気持ちが強くないと、実際にコメントするまでいかないということにも気づいたのである。(だからこそのコメントやブクマのありがたさもある)
これらを通して、「読み手は、コメントやブクマを残さなくても、いろいろなことを思うものだ」ということを再確認できた。
当たり前すぎて、今更ここに書くほどではないことかもしれないけれど、「読者」とか「フォロワー」というよりも、生身の人間というか、体温のようなものを感じることができたのである。
だからこそ、わざわざみなさんの貴重な時間を使って、わたしが書いた記事を読みに来ていただけること、記事を読んでいろいろなことを考えていただけること、そして、強い思いをコメントやブクマしていただけることのすべてがありがたいということを、はっきりと自覚するようになったのだ。
特に、1,455人の長期読者の方々には、この観点から言えば、本当にお世話になりっぱなしなのである。
長く読んでいただけている方、たまたまこのブログに行きついてこられた方、みなさんに発信することで、わたし自身、いろいろ考え、書いて、反省して、楽しんで成長することができています。
本当にありがとうございます。
まとめ
ブログを始めて半年以上になるけれど、読みに来て下さるみなさんへの気持ちは最初から「感謝」だった。
そして、その感謝は、読み手とのつながりが広く、深くなればなるほど大きくなってきた。
ただ、これがはっきりしたのは、上にも書いたけれど、最近のTwitterでのできごとだった。
フォロワーが生身の人間で、ツイートを読むたびにいろいろなことを思っているという当たり前のことを再確認させてくれたのである。
ただ見えにくいだけで、これと同様のことが、ブログでも当然行われているわけである。
これまでも、読み手のことを全く考えてこなかったわけではないけれど、今後は、これまで以上にみなさんの体温を感じて、感謝して記事を書いていきたいと思う。
これまで、ありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。