三連休中、連休が取れなかったわたしが思ったこと
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昨日まで、カレンダー上では三連休だった。
連休明けの出勤がきつい、というツイートをたくさん目にしたが、連休のなかったわたしにとって、連休と連休明けとの違いは、お客さんが少ないというくらいの違いしかない。
都心で働いているわたしは連休中、多くの観光客や家族連れを見た。
きっと東京見物に、と都心の方に来られた方も多かったのではないだろうか。
その中でも、少し記憶に残っているシーンがある。それは以下のようなものだった。
朝7時、職場の最寄り駅について、いつも通り出口に向かう階段を上り、外へ出た。
朝の日がとてもまぶしく、早い時間にしては、すでに蒸し暑かった。
片道3車線の大きな道路を渡るために、信号待ちをしていると、横断歩道の歩道側で待つわたしのすぐ横にタクシーが止まった。
ドアが開くと、小学校低学年くらいの子供が飛び降りてきた。「あっつっ」と言いながら、渋い表情で次に降りてくる親を待っていた。
親御さんは、「いやー、あっついねぇ」と言いながら手をパタパタさせて顔に風を送りながらタクシーを降りてきたが、その言葉、実際の暑さとは裏腹に、笑顔があふれていた。
胸躍るワクワクする感じがあふれている、そんな印象だった。
その一方で、夜、仕事が終わって家に帰ると、暗い部屋ですでに寝静まった子供たちと、横になったままスマホをいじっている妻がいた。
寝る前に妻とは少し話すが、「今日はどこどこに行って、〇〇くん(子供の名前)たち、すごくはしゃいでたよ」なんて話を聞くと、うれしさもあるが、胸が少し苦しいような何とも言えない気持ちになる。
妻には、わたしにあてつける意図は毛頭ないだろう。
でも、妻や子供に対して、しっかりと心と記憶に残ることをしてやれているのか、と不安になるのである。
三連休中は、飲食店にとってかき入れ時。
そんな中で、連休など取れるはずもなく、家族で旅行に行ったり、イベントに連れて行ったりすることもできなかった。
家族でせっかく一緒にいる短い時間を、自分のためだけに使ったり、心穏やかでなかったりしていないだろうか。
これが三連休中、連休が取れなかったわたしが思ったことだ。
休みが少ないなら、取れた休みでしっかり愛情を伝えればいい。
平日、あまり一緒にいる時間を取れないなら、少しの時間でも心を共にすればいい。
こんな、当然すぎる親の役割を果たしてきたのか、ということを改めて考えさせられたのである。
でも、今の仕事をしていて、(家族のことで)うれしいことももちろんある。
それは、家族が店にラーメンを食べに来てくれることだ。
先日来てくれたときは、仕事が終わって帰宅すると、お風呂で子供たちの間でラーメン屋さんごっこが始まったという話を、妻から聞いた。
そのラーメンは、お湯の入った桶に、タオルを入れて、作るそうだ。
作ったラーメンは食べられないので、お腹は一杯にならないけれど、わたしにとっては胸がいっぱいになる話だった。
また、わたしにとってうれしいのは、ラーメン屋さんごっこだけではない。
わたしがラーメン店で働くようになってから、子供の好物がラーメンになったことや、ラーメンを作っているパパはかっこいい、と言ってくれ、幼稚園で自慢してくれていることも、わたしにとっては宝物のような話だ。。
8月上旬に家の近くにオープンする店舗に異動するが、また来てくれると言ってくれている。
生き方を通して背中を見せること。
これは、子供たちにとって最高の教育なんだと信じたい。
忙しい中でも、なんとかして愛情を伝えていくこと。
これは、気持ちの一番濃いところを伝えることだと信じたい。
ある調査によれば、一生のうちに妻や子供と一緒にいられる時間は、職場の同僚などと一緒にいる時間よりも短いそうだ。
連休中に楽しそうにしていた家族をうらやましがっても、休みを満足に取れない職場を恨んでも何も始まらない。
自分自身でこの環境を選んだのだから。
粒の数は少ないかもしれないけれど、一つ一つが大き目で、濃度の濃い家族での思い出の粒を作っていきたい。
そして、将来、めんおう家に生まれ、一緒にいれてよかったと、彼らに心から思ってもらえるようにわたし自身、生き方を磨いていきたい。