初志貫徹にこだわらず、自分の変化を受け入れて前へ進もう
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Twitterで、クロネコ屋さんからうれしいツイートをいただいた。
前に「この人のブログ好きだな」と紹介していた公務員からラーメン屋に転職したブロガー、めんおうさんが専業ライター志望になっていた
— クロネコ屋@アフィリエイター (@NINJAkusokuso) 2019年1月7日
彼の思考プロセスで非常に関心した事があって、それは『初志貫徹にこだわらず、自分の変化を受け入れた』こと。大見得を切った男で、これが出来る人は非常に少ない https://t.co/Aa0ieLd1S9
※クロネコ屋さんには、半年以上前、新着エントリーに掲載されていたわたしの記事を偶然読んで、応援していただいたことがあった。
正直、少し自信を失いかけていたときでもあったので、このツイートで
「自分の弱点だと思っていたところを強みとして、前に進んでもいい」
ということに気づくことができて、力が湧いた。
先日、ライター業始めましたに書いたけれど、1月1日に、専業ライターを目指して副業ライティングを始めた。
転職をきっかけに始めたブログだけれど、書くこと、伝えることの楽しさ、すばらしさを知ったし、わたしの文章が人から評価されるようにもなって来た。
もろもろの理由があって専属ライターを目指すのだけれど、これについては前向きで、ワクワクする考えばかりかと言うと、実はそうではない。
ネガティブな感情としては、自己不信が大きかった。
これは、
「自分の文章が受け入れられないのではないかという心配」
というよりも、
「自分は、一度決めたことをやり通すことができない優柔不断野郎なのかもしれない」
という気持ちによるものだ。
漠然としたあこがれではあったけれど、官僚のような仕事をしたいと思って10年間続けた国家公務員職。
これではダメだということに気づき、人の役に立っていることを実感したいと思って転職したラーメンベンチャー。
転職を考えたときは、ホントに迷いに迷って出した結論だった。
家族に迷惑をかけたくないし、自分の中の気持ちの軸というか、生き方の軸をピンと立てたくて「絶対これで、納得いく成果を残してやる!」と決めていた。
でも、1年も勤めると、外からでは見えなかったもの、自分が本当に求めているものが見えてきた。(自分自身がどんな人かということがわかったのかな)
ラーメン店での仕事が楽しくないわけではない。
職場の人間関係が悪いわけでもない。
むしろ、仕事も人間関係も「最高と言っていいレベル」で楽しくやっているし、今のわたしの気持ちを言ったらみんな驚くだろう。
ではなぜ、退いて、新しいことを始めようとしているのか。
それは、わたしとわたしの家族の求める生き方(ライフスタイル)が、「今の楽しい仕事と生き方」の延長線上にないということに気づいたからだ。
- いつでも、どこでもできる
- 休み、長期休暇には家族と過ごせる
- 人とのコミュニケーションがある
- 好きなこと、得意なことに携われる
- 人から求められ、頼られる
- 必要最低限の収入がある
これがわたしの理想の生き方だ。
それが今の生活(仕事)の延長線上にないのなら、どこまでいっても理想の生き方ができないとわかっていながら、必死に生きなくてはならない。
なりたいものになるというのではなく、生きたい生き方ができるかどうかという考え方もあったということで、特に、今の仕事では上の2つを達成するのは不可能だ。
そんなのいやだ。
わたしはそう思う。
挑戦したら、もしかしたら叶うかもしれない。
こう思ったら、それを目指したくなってしまうのだ。
どうしても理想に近づきたくなってしまう。
わたしは心のどこかでそういう自分を、
「自分は、一度決めたことをやり通すことができない優柔不断野郎なのかもしれない」
と思ってモヤモヤしていたけれど、クロネコ屋さんからのツイートでハッとした。
「これは、弱点ではなくて、自分の変化を受け入れられるという強みなのかもしれない」
と。
一度したはずの決心を覆すわけで、ブログに書くのもツイートするのも正直迷いはあった。
「こいつ弱っ」って思われるのがいやだったからだ。
でも、初志貫徹にこだわる必要はないのである。
自分の変化を受け入れて前に進んでもいいのだ。
大抵、「初志」を抱いた頃というのは、情報がどうしても不足しているもの。
足を踏み入れて初めて見える世界もある。
そう考えれば、新しい情報を得て、世界の見え方が変われば自分が変化するのは当たり前で、変化を認めず初志貫徹しようとする方が、不自然なこと、逃げになることだってあるのだ。
理想の生き方が初志貫徹の先にないのなら、こだわらず、自分の変化を受け入れて前へ進もう。
わたしは、もう一度決心した。