Hagexさん殺害事件から考えた、ブログのこと
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先日、IT業界でもはてな界でも有名なHagexさんが福岡県で殺害された。彼は、わたしたちと同じはてなブログのユーザーだった。
これを初めて知ったのは、Twitterでのけいろーさんの
ちょっと待って……。さっきからはてな方面のタイムラインに信じられない情報が流れてるんだけど……。
— けいろー (@Y_Yoshimune) 2018年6月24日
というツイートだった。
何も知らなかったわたしは、福岡で何かあった?と変な胸騒ぎがしたので、Twitter経由で調べてみると、すぐにhagexさん以外考えられない。という記事にヒットした。
これでほぼ確信した。
あのHagexさんが殺されたんか・・・
特に彼とは交友関係などはなかったけれど、わたしの方が一方的に彼の記事を読ませていただいていた(たまに)。
彼の記事は、ある出来事(芸能とかが多い印象)のいろんな記事やツイート、書き込みなどを整理してまとめているものが多く、きっと頭の回転が速くて、情報処理能力の高い人んだろうな、という印象があった。
交友関係がなかったとはいえ、知っている人が亡くなるのは、不思議なもので何か大切にしていたものをなくしたような、心にぽっかりと穴の開いたような感覚、というのがよく当てはまる。
これ以上彼の死や事件に関して、彼のこと、事件のことをよく知らないわたしが語るのは、ちょっと違う気がするので、これくらいにしておきます(犯人は逮捕され、一応の解決はしているそうです)。
ご冥福をお祈りします。
彼の事件から約一日が経過して考えたのは、ブログのもつ力についてだ。
これまでにもわたしは、ブログは最高に楽しい、と言ってきたし、今もその気持ちに変わりはない。
ただ、これまで漠然と感じてきた感覚で、今回の事件をきっかけにして核心に変わったことがある。
それは、ブログは、一般的なコミュニケーションに必要な要素である、表情、声色、文脈といったものを完全に排除して、伝えたいことの核心のみを、しかも不特定多数に向けて発信する力があるということだ。
これは、ブログの強みでもあり、弱みでもある。
ブログの匿名性や、大抵の場合文字だけで発信されていくことに起因するのだろう。
強みとしては、表情や声色をまったく気にせず、伝えたいことの核心を発信できることによって、生の世界よりも、ずっと強い、人とのつながりを作ることができる。
これは、オフ会などが、一般的な飲み会よりも盛り上がることが多いことから明らかだと思う。
わたしも、生の世界では口にしないこともブログには書いているし、だからこそブログは書くのも読むのも面白い。
一方で、今回の事件で見えてきたのは、ブログのもつ力が誤った方向に作用した場合の怖さだ(ブログの弱み)。
容疑者は、ネット上のやりとりで恨みがあったそうだ。
きっと文字から、その意味を直球で拡大解釈して反射的に怒りや恨みに変換してしまったんだろうな、と思う。
やばそうな人を避けるということも難しい。これは、SNS上で有名になって、読む人が増えれば増えるほどだ。
であれば、SNSユーザーには、生の世界で求められる以上のコミュニケーション能力(これやばいかもな、という危機管理ともいえるかも)が必要になってくるのだろう。
こういう現実に気づかされた。
生の世界のコミュニケーションなら、例えば、そのメッセージが、相手に対する悪口やからかいだったとしても、表情や声色が一種のクッションになることが多いと思う。
そういうものが一切ないと、直接会わないうちに負の感情が増幅して一気にいってしまうものなのだろうか・・・
また、伝えたいことの核心を発信する力、の裏返しとして、その発信者自体の性格や心情といったものを超直接的に表現してしまうことがある。
自分の顔や声を出さずに発信できる。その受け手の顔や声も聞こえない。
いやな文字は見なければいい。。。
こういうことで、思ったことを思った通りに発信しやすくなるし、意図しない受け取り方をされやすくもなる。
ブログを愛し、今後もこれを楽しんで続けていくためにも、ブログは、「自分」を生の世界で以上に「自分らしく」発信してしまう、ということをよく認識しておきたいと思う。