「明日から仕事しなくていいよ」と言われたら、どうしますか?
スポンサーリンク
昨日、こんなツイートを見た。
学生「ゆうさんにとって仕事とは?」
— ゆう🇺🇸圧倒的純ジャパからの圧倒的海外就職 (@honkiku1) November 19, 2019
僕「暇つぶしです」
学生「はい?」
僕「仕事してなかったら人生クソ退屈だと思いますよ。休暇は1週間で飽きるけど、仕事は全然飽きません。アーリーリタイアしたい奴とかアホだと思います😊」
学生「…。ありがとうございました」
確かに最近、「セミリタイア」という言葉をよく聞くようになった。
おはようございます🌏
— こば【米国株投資で毎月20万の不労所得を目指す】 (@koba_kabu) November 17, 2019
今週も始まりましたね🤔
仕事のストレスを最小限にとどめていきます(笑)😌
目標は【55歳でセミリタイア】💰
目標のための時間はあまり取れませんが、無理せず続けることを意識します💪
寒いけど頑張りましょう!#おは戦r1118ng#おはよう戦隊1118 pic.twitter.com/iKXnTFK5TS
最新の資産状況です☺️
— グミ (@FamilyAssetTree) November 16, 2019
資産額 約8,400万
年初来 約+1,800万
内訳:
給与と生活費の収支 +400万
投資の収支 +1,400万
株高のタイミングでセミリタイアに向けてアセットアロケーションの調整を行なっています。
米国債券+キャッシュ比率を35%程度まで高めています🤗
セミリタイアまでの道のり
— アカキン@まったり投資生活 (@akakin1981) November 16, 2019
①会社員を頑張る
②固定費を削減する
③貯蓄額を増やす
④副業で収入を得る
⑤更に貯蓄額を増やす
⑥不動産や株式投資で家賃収入や
配当収入を増やす
夫婦間の協力は必須だろう
この流れで病気や事故で
仕事ができなくなっても
不安のない生活基盤を
数年で作れる
YouTubeでも「セミリタイア」で検索すると、いろいろな動画が出てくる。
「セミリタイア」の定義は、(まだ辞書にはないが)定年よりも早く退職し、それまでの会社での仕事以外で、収入を得つつ自由にやりたいことをやって暮らすこと、のようだ。
そもそもセミリタイアの定義とはどういった条件なのでしょうか。セミリタイアを辞書で調べても特に意味が解説されていません。セミリタイアという言葉は大橋巨泉さんが1990年に発言した事で知られる表現となりました。
セミリタイアという言葉は、現在では貯金や資産を溜めて置き、仕事を定年退職する前に退職をして、自分の時間や生活を楽しみながら仕事でも収入を得るという意味で使われています。
メインの仕事を退職して、自由な生活の片手間で収入を得るという条件となります。(出典:M&A総合研究所「セミリタイアとは?アーリーリタイアとの意味の違いや条件を解説!」
セミリタイア押しの方の主張を見てみると、「会社を辞めて、自由に、緩く暮らす」と言っている。
「会社を辞めて、『やりたいこと』を自由にする」と。
ここだけ切り取ると、魅力的だ。
しかし、本当にそうなのだろうか。
少なくともわたしは、別の考えを持っている。
*
妻と先日、「いつまで働くか」について話した。
わたしは、妻に聞いた。
「今30代の人は、50%の確率で100歳くらいまで生きるらしいよ」
「そんなに生きなくてもいいね笑」
「でさ、いつまで働く目標で設計しようか?それによって今から月々積み立てていく貯金額とかも変わるし。それで赤が出るようなら、例えば70まで働くとかにして引退する時期を遅らせたりもしないとだから。ざっくりとでも見通し立てたいよね」
「んー、どうなんだろう。でも、働かなかったら、することなくない?あなた、引退したら何したいの?」
働き方について、本質を突かれたようではっとしたが、考えがまとまらなかった。
「テレビ見たり、旅行したり、、、ということになるのかな?」
「私はどういう働き方になるかわからないけど、働きたいかなー」
引退したら、何をしたいのか。
「何のために生きてるの?」に近い、働き方や生き方についての究極の質問だと思った。
*
セミリタイアと聞くと、「なんとなくいい感じ」がする。
10年、20年先のことだし、自分にもできそうな気がするし、「自由にやりたいことをする」というのに魅力を感じるからだ。
しかし、セミリタイアは、手段であって目的ではない。
今、はっきりとした「やりたいこと」がなければ、「セミリタイアして自由にやりたいことをやる生活」は実現できない。
哲人:線としてとらえるのではなく、人生は点の連続なのだと考えてください。チョークで引かれた実線を拡大鏡で覗いてみると、線だと思っていたものが連続する小さな点であることがわかります。線のように映る生は点の連続であり、すなわち人生とは、連続する刹那なのです。
青年:連続する刹那?
哲人:そう。「いま」という刹那の連続です。われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。われわれの生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。
引退した後にある「いま」に何をしたいのか。
これがなければ、ありあまる時間が残るだけだろう。
そもそも、セミリタイア自体、多方面にわたって努力や工夫が必要だということもある。
セミリタイアするには、「今から確実に行動していかなければならないこと」は本当にたくさんある。
- 今の仕事でスキルを磨くこと
- 要すれば、副業でスキルを磨くこと
- 計画的な積み立て(貯金や国民年金基金など)
- 投資(iDeCoやNISAなど)
- 子育て
- 実家との関係(親の介護、実家跡地どうするの問題)
- 地域やネット上でのコミュニティ構築
妻との会話の際のメモ。
セミリタイアを目指してるわけではない我が家ですら、これだけのことが必要だ(しかも、それぞれのカテゴリーを具体化すると、さらに膨大なToDoが出てくる)。
「セミリタイアしてからやりたいこと」という強烈なモチベ―ションがなければ、難しいのではないだろうか。
にもかかわらず、人は、遠い将来のことになると楽観的になりやすい。
なんとなくできそうな感じがしてしまうのである。
その結果、必要以上に悲観的、楽観的になったまま意思決定を下し、将来的に後悔する選択をしてしまうのです。
(中略)
人間の感情は、よくも悪しくも長続きしないようにできています。それにも関わらず、今の自分の感情がずっと続く。そして、その感情を生み出した状況(仮想通貨が上がり続ける)も続くと根拠なく信じてしまうのです。
(出典:メンタリストDaiGo「後悔しない超選択術」西東社、2018年12月10日出版)
将来の目標達成のために、今何をすべきかについては、「何となくよさそう」というのではなく、ある程度の計画を立てた上で、今本当にしたいこと、すべきことを積み上げていかなければならない。
*
セミリタイア自体を否定しているわけではない。
ただ、「セミリタイアしたい」というだけでは、セミリタイア自体できないし、したとしても「自由にやりたいことをやる」暮らしは送れないのではないだろうか。
むしろ、「自由にやりたいことをやる」というのが目的なら、引退せずとも、明日からでも、いや、今からでもその目的は達成できるはずだ。
「人生とは、連続する刹那である」
心の底からやりたいことを見つけ、それを求めて過ごせば、最高に楽しい「今日」という一日を積み重ねていけるはずだから。
※寄稿しました。ぜひこちらも、ご覧ください。