めんおうブログ

主夫ライターの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

「行動している人」は、何を考えているのか。

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ここ数年で「行動しろ」という発信をよく見るようになった。

ブログでも書籍でも、Twitterでもホントによく見る。

わたしの大好きなホリエモンなど、各インフルエンサーたちが「好きなこと」をやれ、「行動しろ」、「時間をムダにするな」と言い、一般の人たちも同じように発信するようになった。

時間革命 1秒もムダに生きるな

時間革命 1秒もムダに生きるな

 

 

では、なぜ行動、行動と言うのか。

それはきっと、

  • 行動しないといけない時代になった
  • 個人が行動すると「豊か」になれる時代になった

という背景があって、かつ、

「行動できていないと思っている人」が多い

からではないだろうか。

もしくは、「行動していると言い続けていないと、行動していないようで不安な人」が多いからではないだろうか。

 

では、「行動力」って何なの?

という疑問が湧いてくる。

 

小学校の通信簿に確か、「実行力」という内申点評価があったような気がする。

しかし、こういうふわっとした言葉は、できたようでできていない、できていないようで実はできている、ということにもなるので結構アブナイと思ったりもする。

というわけで、この記事では、「行動力」の正体について、考えたことをまとめたい。

「行動する」というのは、取るに足りないことだと賛同していただけるだろうし、「行動できていないような不安」もなくなるはずだから。

先日平日の夕方、自宅でのできごと。

いつものように子供たちはおもちゃを散らかしっぱなし、ティッシュをばらまきっぱなし、本は開きっぱなしで床で読みっぱなしにしていた。

わたしは「片づけなよ~」とは呼びかけるが、どうせ片付かないよな、と思いながら言うだけは言う、状態だった。

 

いつも17時半から夕食の支度を始め、妻が仕事から18時過ぎに帰ってくる。

 

「ただいま~、あ、いいにおいだね~」

妻が帰って来た。

 

「おかえり~」

と迎えるが、妻は部屋に入るなり、

「何これー、もぉー、片づけて出るのに、帰ってくるといつもこれじゃん、早く片づけなさい!」

 

子どもたちはテレビを見ながらで、手を動かさない。ひとつのおもちゃをおもちゃ箱に入れるのにも数分かかっている。

「もー、テレビ消して!全然片づけないじゃん!早く片づけなさい」

 

妻の声が大きくなってきた。

わたしはほったらかしにしているわけではないが、どうしたもんかなと「片づけなさい」と言うのにはなんとなく気が進まない。

 

また数分後、妻が

「片づけて!なんで片づけないの!?何で?」と子どもたちに聞いた。

「わかんないよぉ~」と子どもたち。

 

「………おっ」

と思った。

(妻に、ちょっと待って、と合図してわたしが子どもたちのところへ行き)

「何がわからないの?」

3歳の長女が、手に取ったおもちゃを上げてわたしに見せて言った。

「これどーすればいいのー?」

 

どうやら、「片づけ方」がわからないらしい。

 

「片づけるってどうすればいいの」

「おもちゃをおもちゃ箱に入れるー」

「じゃあ本は?」

「本棚に入れるー」

「テレビ見ながらやっていいの?」

「テレビは消すー」

 

「じゃ、片づけて」と言うと、子どもたちはすぐに動き始めた。

 

そう、「動き始めた」のだ。

よく言う「行動力」の正体とは、このことだったのだ。

子どもたちにとって、「片づける」とは、どういうことだったのか。

  • おもちゃはおもちゃ箱に入れる
  • 本は本棚に入れる
  • ごみは捨てる
  • テレビは消す
  • 片づけの最中に遊び始めない
  • けんかを始めない
  • 料理中のわたしのところに来ない

こんなにたくさんのToDoの集合体が「片づける」の正体だった。

子どもに「片づけなさい!」と言ってもわかるはずがなかった。

 

では、わたしたちにとっての「行動する」とは、何なのか。

わたしが年末までにやろうと思っていることを挙げてみる。

  • 確定申告の準備
  • ブログやTwitterでの発信
  • インプット
  • 職場環境の整備
  • 来年以降の予定の整理

思いつくだけでもこれだけある。

今度は「確定申告の準備」で、すべきことを挙げてみる。

  • そもそも確定申告の仕方を調べる
  • 何が経費になるか確認
  • 公共料金の何割が経費になるか計算
  • レシートの整理
  • Amazonなど電子決済の整理
  • 確定申告手続きをいつするか決める
  • そのために予定を調整する

一言で「確定申告の準備」と言っても、こんなにやることがあるということに気づく(冷や汗しか出ません)。

ただし、ここまではっきりさせて、ようやく行動できるようになるということでもある。

 

大阪府知事の橋本さんも「実行プランなき意思表示は意味がない」と言っている。

実行プランを作らずに、単にイエス・ノーを問うことほどに無責任なことはありません。朝日・毎日新聞的インテリたちは、とにかく「住民投票をやって住民の意思を示すことが大事だ!」と強調しますが、それはイギリスのEU離脱国民投票のように大混乱をもたらすか、ないしは実行プランがないことで意思表示がなされても何も実行されず放置され、住民の失望を招くだけです。

(出典:橋下徹「実行力」株式会社PHP研究所、2019年5月29日)

 

「行動力がなくて行動できない」と言っている人も多いが、それはただ、「行動」を「実行可能なレベル」の「具体的にやること」まで落とし込めていないだけなのではないか。

子どもたちが「片づけろ!」と言われても片づけられなかったように、わたしたちは「行動するぞ」という気持ちだけでは、行動できないのである。

 

確かに、具体的にするのは、めんどくさいし、不安が現実になるような気がして、なかなか手が付けられないかもしれない。

しかし、その「はじめの一歩」を踏み出すのは、「めんどくささを超えていける勇気」なのではないだろうか。

 

わたしたちに足りないのは、ほんの少しの「めんどくささを超えていける勇気」だったのである。

「行動」は人それぞれ、大きさが違う。

インフルエンサーのように、目立つ必要もないし、かっこよくなくてもいい。

 

ただ、行動できないと、何もできてなくて自分てダメだなーと思ってしまう。

だからまずは、何をするのかをはっきりさせること。

そして、まだ行動できないようなら、それを絶対できるレベルまで落とすこと。

 

書こうと思っていたブログが書けなかったなら、スキマ時間に1行でも書けばいい。それもできなかったなら、パソコンの電源を入れ、デスクに着くまででいい。

 

「行動」とは、このように、だれでもできることをしていって、徐々にレベルを上げていくことなんだと思う。